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夜間中学その日その日 (536) Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2017年12月8日
  • 読了時間: 3分

特別展「夜間中学生展12.02」(19)

 朝9時30分、テレビカメラが回り始めた。博物館周辺は銀杏の葉が黄金色に、セコイアの緑とコントラストがよい。青空に映え、ちょっとした景色である。カメラは大阪人権博物館玄関、そして書・「水上勉」の赤御影石にズームアップした。

 当初には考えすらなかった、特別展の映像記録の撮影が始まった。映像だけで音声無しから始まって、解説シナリオに髙野さんのインタビューを織り込んで、とレベルアップしてきた。照明も当て、音録りもしながら4時間におよぶ収録作業となった。

 この日、一般の来館者に加え、宮城県仙台、千葉県松戸、北九州市穴生、福岡市の各自主夜間中学。北海道大学、専修大学、東北大学、奈良教育大学の研究者。そして韓国から識字文解教育、夜学教育団体など多彩な人たちの来館となった。

 日韓識字文解交流で、韓国を訪問した際、渓、ソウル、安養、利川、済州道、釜山でお世話になった方も何人かおれる。通訳者が入り、質問も受けながら、展示全体を説明が終わるのに1時間近くかかった。在日のオモニ、ハルモ二の多くが夜間中学で学ぶようになった経緯について多くの質問があった。

 日韓識字文解交流の訪問記録誌の前では「交流が始まる経緯」と、「交流を夜間中学としてどのように考えていますか」との質問があった。私は次のように答えた。

 「髙野雅夫氏がソウル大学に語学留学したとき、韓国の識字教室を訪問、夜間中学生の訪問交流を通して夜間中学生が夜間中学で学ぶことの意味を考えることができたらと考え、夜間中学生に提起し、2002年に始まった。そして萬稀さんが校長をされていた安養市民大学を訪問した」。その時、「夜間中学生の皆さんは夜間中学で獲得した文字と言葉を使って、何か社会活動をされていますかと質問を受けた。この問は、夜間中学生に衝撃を与えた。夜間中学生に学びの意識化を促した。2008年から始まる就学援助補食給食復活の闘いに大きな影響を与えた」。

 高知市からもお越しいただいた。8月21日、夜間中学卒業生と高知市を訪問し『50年目の全国行脚』をおこなった。その時、特別展の案内をした。ぜひ見ておかなくてはとこの日の来館となった。感想を伺いたかったが挨拶だけになってしまった。

 新聞報道で特別展が開かれている事を知ったという3人の親子連れが遅くまで見ておられた。そして3人全員が感想、小学2年生の子どもは寄書きにカットを書いていただいた。紹介する。

 「今まで髙野さんや多くの方が積み重ねてこられた運動が多くの人の人生をよりよく変えてきたことに尊敬します。その運動の成果とその歩みが今日のまた新たな人たち(新しい層の外国人の方など)につながっているのは本当に意義が大きいと思います。まだまだ日本は不十分だし教育はどんどん悪くなる可能性があると感じています。今日の展示から学ぶことは多いと思います。娘も何か心に残ることがあり、将来社会を変えていく糧になると思います」(一般企業の社員)

 「毎日新聞の記事を読んで以来『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』という言葉がずっと頭から離れず今日こちらを訪問いたしました。私自身夜間中学校の教育に関心がありましたので、夜間中学の歴史、必要とされてきた経緯・背景を知ることができ、改めて意義を考える契機となりました。詳しい解説もいただき本当にありがとうございました」

『新たな出逢いが歴史をつくる』。夜間中学の明日につながる出逢いだと感じた。

 
 
 

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