夜間中学その日その日 (537)
- アリ通信編集委員会
- 2017年12月9日
- 読了時間: 3分
特別展「夜間中学生展12.07」(20)
人権週間の12月7日、大阪人権博物館は多くの来館者で、特別展示室はとりわけ熱気を帯びた。常設展示に行く前に、ぜひ特別展を見ておきたいと、午前中は兵庫県からバスでやってきた小学生。そして午後は府立高校の1年生がやってきた。
12/7、人権学習できますので、子どもたちに説明よろしくと事前に言って帰られた高校である。この高校の制服は自由で、個性あふれる服装で、高校生ものびのびと学校生活を送っていることがわかる受け答えであった。さわやかである。私たちの説明もできるだけ簡潔におこない、問題提起をして自分で考えることを促し、その場を離れるようにした。
「かつてあった夜間中学は92校、その中で、最初にできた夜間中学はこの大阪にあります。生野第2中学夕間学級です」
「3人夜間中学生の詩をよく読んで気づいたことをまとめたらどうでしょう」
「多胡正光さんの詩は読む人に質問をしています。『夜間中学はなんであるか/ どうやってつくったか/ げんいんは/ だれがつくったか/ ぼくは知りたい』。展示を見て、一つの質問でもいいから、答える形で自分の考えをまとめたらどうでしょう」
「『空気をうばうな!!空気をよこせ 0.1%の叫び』の“空気”って何ですか?」
「大阪の教育委員会がつくったポスターは『しない!させない!越境通学』。下の新聞記事の見出しは『越境かまいませんよ』。越境って?」
「須堯さんが言った『たった1枚の紙切れのために』って何のこと?」
「夜間中学生の共同作品の詩で感じたことは?」
各ブーツで展示を見入っている高校生にこのような問をおこなった。話し終えると、「あるがとうございました」とさわやかな返事が返ってきた。

アンケートにもたくさんの記述があった。
「何十年も前の方々が書いた当時の心情や勉強をすることができなかった人々の夜間中学に通うことで知った勉強のありがたみや大切さ等がつたない文字で書かれていて心に残った。現代の私たちの勉強に対する態度も見直さないといけないのではないだろうかと思った」
「昔学校に行けなかった人が学ぶ権利があると訴え続けた決意の強さが今の夜間中学につながっていると感じました」
「今、私たちが当たり前のようにしていることができない社会の中で懸命に意見を表明し、活動していた人々がたくさんいたことを知って、私にはそんなことはできないのですごいと思った。当事者の声が書かれた直筆のメッセージなどがあって、どれも生々しく私たちに伝えてくるような展示でとても心に残った」
「夜間中学は最初は認められていなくて、髙野雅夫(*)さんのおかげで今の夜中(**)があるのだと知り、とても関心を持ちました」(*)高野の高ではなく、はしごの髙を使用されている。(**)関係者同士では夜間中学のことを「やちゅう」と言うが、関係者以外では「夜中」と書けば「よなか」と読んでしまうのだが。
「テレビでしか聞いたことがなかったけど、歴史的背景などを分かりやすく学べました。勉強したい人のために運動をおこしつづけた人はすごく勇気ある行動だなと感じました」
「『恨』とう字は『恨む』ことではなく心の叫びであると知った。戦争で教育を受けることのできなかった人々は『戦争に大切な青春をうばわれた』と嘆いており、戦争にマイナスのイメージを抱いており、もう戦争はいやだと思っていた。その人たちが『学びたい』と強く願っていたことを知り、普通に勉強できている自分はありがたいと思った」
「自分が住んでいる八尾市にも夜間中学があって、一人の先生がそこに転勤されるという話から八尾にも夜間中学があるんだということを知りました。『市が作ってくれた』のではなく『自分たちが行動をし続け作られた』という事を聞いて驚きました」
この出逢いが高校生の心に届く展示になったのかも知れない。新たな歴史が生まれていくことを期待しよう。