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夜間中学その日その日 (548)

  • 白井善吾
  • 2018年1月30日
  • 読了時間: 2分

  41年前の新聞記事

 『“陽光”を求める夜間中学 市町村、先生まかせ 法をタテに認知拒む国』(讀賣新聞1976.07.29)の見出しである。

 1976年の夜間中学の動きは、神戸市立兵庫中学校・北分校。尼崎市立城内中学校・琴城分校として夜間学級開設。奈良に夜間中学を作り育てる会が発足。夜間中学増設運動の一環として自主夜間中学校(うどん学校)始まる。川崎市でも「自主夜間中学校」の取り組み始まる。大阪市立昭和夜間中学校に夜間学級開設(年度の途中のために天王寺・文の里から希望する夜間中学生転校し、学習が始まる)。第22回全夜中研大会、東京都江戸川区民会館で開催【学校数30・生徒数2588】。

 中国からの引揚げ帰国者の夜間中学入学が相次ぎ、夜間中学開設運動の動きがねばり強くとりくまれ、夜間中学の拡充、普及について国に法制化を要求するとりくみも展開されていた。‘75年と’76年の国会での議論をみると長谷川正三、柴田健治(社会)、立木洋(共産)、金子みつ(社会)塩出啓典(公明)の各議員から延べ6回の論戦が展開されている。

 「学校教育法で義務教育に通う年齢を満6歳から満15歳までと決めてしまっていること。15歳までなら国や地方公共団体が面倒を見なければならないが、それ以上になると義務がない。15歳以上の人には義務教育を受ける権利が認められていないということだ」と学校教育法が大きく立ちはだかっていた。

 この状況下、この記事には、夜間中学教員、教育委員会、そして文部省にも取材をし、そのコメントを集録している。

 「近県からの越境入学者が多い。『遠くて通学できないため、家族と離れて学校の近くにアパートを借りている人もいます。現状からいって一県に一校はほしい』」(夜間中学教員)。

 「夜間中学の拡充、普及については国に法制化を要求する動きもあるが文部省は『あくまで市区町村教委の判断によって設置するもの。国がつくれとか、つくるなとかいうべき筋合いのものではない。従って、法制化も現状では無理』」(初等中等教育局中学校教育課)。

 「『学齢期を過ぎた人については市区町村で面倒をみる責任も義務もありません。でも、現にそうした環境に置かれ、学びたい人がいれば、夜間中学をつくってやるのが血の通った行政ではないでしょうか』(江戸川区教委学務課長)」。

 41年前の文部省の夜間中学担当者のこのコメントを、「一県に最低一校の夜間中学を」という、いまの文科省担当者はどのように説明するのだろう。この間、いかほどの人々の学びを奪ってきたことに想いをしたことがあるのだろうか。

 
 
 
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