top of page
検索

夜間中学その日その日 (580)

  • アリ通信編集委員会
  • 2018年9月22日
  • 読了時間: 5分

 大阪城公園の南西角に「教育塔」が建っている。1934年9月21日朝、室戸台風が関西地方を襲った。秒速60mという強風及び大高潮はあらゆる方面に大惨事を及ぼした。1934年の室戸台風で殉職した教員や死亡した児童が多数出たため、二度と同じような災害が起きないよう祈願し、帝国教育会の発案・決議により建設された。現在日教組主催で第83回教育祭は、2018年10月28日(日)午前10時日教組主催で教育祭がおこなわれる。

 室戸台風でたくさんの学校が倒壊し、多くの児童生徒が下敷きになりなくなった。「死せる両女訓導の下に無事の五児童」「45名を失った豊津校」惨事を伝える新聞報道の見出しである。大阪府豊能郡豊津尋常高等小学校は校区の小学校であった。近所にも「袴の下で助かった子」がご健在であった。荒ぶる自然、人間のおごりを否定するように過ぎ去った2018年9月4日の21号台風であった。

 近畿夜間中学校生徒会連合会と大阪府府の教育庁との話しあいが2018.09.09開かれた。7月に開かれる予定が大雨洪水警報が出ていたため、この日に延期になった。台風21号で大きな被害を受けた夜間中学生も多かったと思うが、この日会場には多数の夜間中学生が参加、府担当者との話合いに臨んだ。

 「他府県からの夜間中学の入学」「就学援助」「補食給食」「法制化」「校舎整備」について夜間中学生は原状と問題点を訴え、府の見解を糾した。

 入学条件が最初から「府内在住者」であると思い込んでいた当時の担当者に、当初は「在住在勤」であったことを確認し、他府県から府内の夜間中学入学を認めるように、そしてその手順を明らかにするように、夜間中学生は回答を求めた。

 担当者は「現在その手順はない。在住の市町村教育委員会から県教委へ、県から大阪府に話しがあって、府教委が府内の夜間中学設置行政とはなしをする。要望があれば、その保障に向け個別に考えていく」と要望があればそれから考えると消極的な答えであった。6~7年前、府外から府内夜間中学入学の声があり、その入学を求めて、まずもって大阪府が見解を明らかにすることを求めたが、即応する府の回答は無く、入学希望者の願いに応えることができなかった。

 「募集要項を調べる」「今日までに資料を見つけることができなかった」「さらに調べます」「いつまで待てば前に進むのか」こんなやりとりの経過だ。担当者が変り、前任者の回答の継続性が無い現担当者の回答が非常に気になった。

 こんな答弁を続ける背景は、夜間中学を設置するのは市町村。そこへ他府県の在住者の入学を認めることは、「なぜ他府県在住者を私の市の夜間中学が面倒をみなければならないのか?という」、声を予測して、意識的に府として逃げていることが原因だ。なぜなら、橋下知事以前は、府費としての教員給与の府負担に加え、就学援助、補食給食も大阪府が半分、負担しますから、設置市以外の入学者も認めてくださいという流れがあった。府として、その梯子を外した経緯があるからそれ以上は設置行政にいえない、当然府外の人を府内の夜間中学へとはいえない。

 その追及を外すため、担当者は「憎まれ口を叩く、批判覚悟でいう」と前置きしてつぎのようにいった。「全国に夜間中学は31校、その半分近くが大阪にある」「8都府県の中で、夜間中学の就学援助制度の要綱を府下の市町村すべてが持っているのはこの大阪だけだ」と言った。

 言う相手を間違っている。文科省に言うことではないのか、夜間中学生を前に言うことではない。橋下知事が就学援助、補食給食の府補助の制度をなくしたとき、府の当時の担当者はそれに従い、その犠牲を夜間中学生に押しつけた。夜間中学生が居住地の教育委員会を訪ねてまわり、要請行動をしたことをこの答弁者は知っているのか?その時居住地行政担当者から、広域行政の役割として、府の果たす役割を強く言われた。その理屈は府の担当者も一番わかっているはずだ。

 もう10年近くなるだろう、府教委担当者は、府下の行政担当者に呼びかけ、夜間中学現場を訪問して、夜間中学への理解を深めるとりくみを続けておられる。(このとりくみを否定するつもりはないが)「認識を拡げ深める機会」だけでは行政の役割を果たしたことにならない。そこで学んだことで、獲得した理論でもって、夜間中学生に胸張って答える時期が来ているのではないか。「この日の話しあう会」も「お互いの勉強の場」と言い、このような受け答えしかできない行政は、怠慢と言われても仕方がない。

 府担当者がリバティー大阪の「夜間中学生展」に来館、話す機会があった。「夜間中学、国が就学援助 全国設置へ自治体後押し」(日本経済新聞 2017/10/1)の報道を取り上げ、コメントを求めたが、「国が夜間中学の就学援助、あり得ません。法律がない」と一笑に付された。大阪府が一丸となって、国に制度立ち上げを求めていきます。と決意を夜間中学生に語ったのは2009年だ。後任にはこの決意は伝わっていない。

 府が9年間の就学援助を、6年間に切り下げ、夜間中学生は自分たちの住んでいる行政をまわり、在籍期間の就学援助を訴えたとりくみが、あることを忘れておられるのではないか、殿馬場夜間中学生が、その変遷の地図を作成して、意見発表をおこなったが、単なる一目瞭然ではなく、府が肩を外した結果、自らの努力不足が一目瞭然と受け取ることに思いをしたであろうか?

 夜間中学生は「大阪府は夜間中学を充実発展させるためにがんばってくれますね、約束してくれますね」との問に、答えたのが「憎まれ口云々」である。担当者がよく口にする「行政の一貫性」だ。夜間中学生は「前任者のいったことを一番よく知っている」。府の担当者は引き継ぎを受けていないのか?そんな想いを強く持った。

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page