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琉球遺骨返還を巡って

  • 北口学
  • 2018年11月16日
  • 読了時間: 2分

私の名前も掲載されている!と黒田先生が写真を送って下さいました。2008年国連先住民族作業部会や人権委員会で「先住民族に収奪した文化的遺産や遺骨は返還を」と。日本政府も署名したはず。一般的なヤマトの先祖崇敬や埋葬、宗教行為は家族単位。遺骨の所有権は遺族と言うヤマトのルールはアイヌ民族には合致しません。コタン単位で慰霊や崇敬をします。琉球も門中(もんちゅう)と言う集落、血縁集団単位で行うらしく、ヤマト(ウチナンチュ)がイメージする親族のみと言う遺骨継承権者は、琉球では違い、とても広い、多いのだろうなぁと、京都の琉球遺骨問題学習集会に参加させて頂いて感じた次第。その集会の折に会場より2点について発言いたしました。 1点目はチカップ美恵子さんらの「アイヌ肖像権裁判全記録」(三一書房刊)を見せながら、その裁判でも当初から遺骨返還の訴えがあったこと。とても古い裁判で、本も長く私の書庫で眠って居りましたが引っ張り出して集会に持参。

2点目は、1987年に国立オーストラリア大学に乗り込んで太平洋州の少数民族の発掘調査記録コピーや遺骨を取り返した話をいたしました。国立オーストラリア大学では、快く二人の発掘担当老教授が懇切丁寧にご説明くださり、コピー記録全てと遺骨返還して下さいました。これが世界の趨勢だと言えます。今日では返還が当然、グローバル・スタンダードです。懐かしい思い出でございます。 国立オーストラリア大学に対する取り組みは、豪州メディアや世界各国の先住民族ネットワークにて取り上げられましたが、日本では全く報道はされてないですね 苦笑。 少数民族に対して、第二次世界大戦下、島の人々にとっては両方が加害者であった日本人の私、オーストラリア人女性支援者、戦時下では敵同士でしたからね。そしてマイノリティ当事者の三者が協力したと言うのが素敵だと受け止められたようです。懐かしい思い出です。

 
 
 
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