夜間中学その日その日 (592)
- 生きる 闘う 学ぶ編集委員会
- 2019年1月3日
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2019年 関西夜間中学開設50年、記念の年
いま、「教育機会確保法」を公布し、「最低一県一校の夜間中学」と掛け声をかけるこの国は、1966年「夜間中学廃止勧告」を出し、夜間中学を潰してきた歴史がある。この勧告を〝夜間中学への死刑宣告だ〟と受け止めた夜間中学卒業生・髙野雅夫は「何歳になろうが、義務教育を受ける権利は義務教育未修了者にもある。憲法に定められた教育を受ける権利の保障を求める」と訴え、母校の在校生、卒業生、教師の力を結集し、証言映画『夜間中学生』を制作した。
夜間中学の開設を求め、1967年9月、フィルムを携え、全国行脚をはじめた。1968年10月、大阪で〝214日の闘い〟を実行した。広範な市民の闘いに拡がり、1969年6月5日、天王寺夜間中学を開設させた。それから2019年で満50年を迎える。
学齢時、義務教育を保障されなかった人たちの提起する「学習権保障の叫び」と「夜間中学生の学び」は学校教育の欠落部分をあぶり出し、顕在化させる衝撃力を持っていた。夜間中学生は学びを通して、社会や教師に変革を求め、「学校型教育制度」を乗越え、共に立ち上がることを求めてきた50年のあゆみである。
「教科書から出発し、成績で序列化し、人と人を引き裂く」文科省がいう「学校型教育様式」にたいし、夜間中学生は「生活の現実から出発し、孤立してきた人と人を結び、仲間をつくる」夜間中学の学びを主張してきた。
夜間中学は公教育制度が内包する学歴社会の点数学力による競争、管理が持っている諸矛盾から解放し、本来「学び」が持っている学ぶことの意義を明らかにし、夜間中学生と教員がその検証ができる場として夜間中学の学びを追求してきた。
「教育機会確保法」が成立した今、「学校型教育制度」のもつ問題点を問わない、「官制の夜間中学」が動き出している。このことは、夜間中学の最大の危機であると考えている。いまこそ、学びを必要とする当事者の名乗り出と開設要求の市民の運動が必要だと50年のあゆみは主張している。
50年を前に、夜間中学の実践を行ってきた、関西の夜間中学から、夜間中学生、卒業生19人・教員、元教員30人、そして5人のジャーナリストの執筆により「このような夜間中学をつくりましょう」というメッセージと共に、夜間中学の在るべき姿を全国に届けたいと考え、私たちは『生きる 闘う 学ぶ-関西夜間中学運動50年-』(解放出版社)の出版編集作業を行っている。
50年のあゆみを振り返ると、決して誇るべきことだけではない、むしろ教訓としていただくべき報告の方が多い。教えを受ける人、教える人と固定した発想でもって、取り組みが進んだとき、その破たんが顕在化した場合が多い。取り組みが進めば、問題が起こるのは避けることはできない。むしろその問題点をどう克服し、とりくんだのかが重要だ。夜間中学生の発する想いを共有し、学びを組み立て、その解決のために闘いに立ち上がる。その闘いが、夜間中学の学びを創造する。そんな柔軟な学びが夜間中学にいのちを吹き込み、教育全体に社会にいのちを吹き込むことだと考えている。
これからとりくみが進む全国の現場に、学習者に、教員に、行政担当者にお届けしたいと思っている。

共同作品『髙野雅夫を先頭に462人の夜間中学生』(部分)
大阪府東大阪市立長栄夜間中学 1992年創立20周年記念制作
縦 3.5m 横 10.8m 布製