夜間中学その日その日 (598)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年2月21日
- 読了時間: 4分
新著に寄せる想い(2)
夜間中学運動について(第2部「夜間中学のあゆみ」から)
関西夜間中学のあゆみを1968年から現在までを扱った。
全国夜間中学校研究会が毎年おこなっている研究大会の資料集、記録誌は公刊されている。しかしこの記述は、教員の眼を通したもので、ここから抜け落ちている部分も多い。同様に、夜間中学教員の組織である、近畿夜間中学校連絡協議会(1971年発足)の資料は完全にたどることはできなかった。
夜間中学育てる会(1970年結成)、近畿夜間中学校生徒会連合会は (1975年結成)の資料も完全に保管されておらず、複数の資料を参照し、記述をおこなった。また、各夜間中学が毎年発行している文集、記念誌も参考にした。
髙野雅夫さんが編集した『자립(チャリップ:自立)』(修羅書房)と収集保管していた、60箱を超える夜間中学の資料は非常に役立った。福田雅子さんが「こんにちは奥さん」の番組の構成を記した取材メモが出てきたのには驚いた。
年表的に、時系列で記す方法はとらず、25の項目で記述をおこなった。1.夜間中学早期廃止勧告 2. 全国行脚・水平社宣言との出会い 3. 大阪での開設運動 4. 天王寺夜間中学の開校 5. NHK「こんにちは 奥さん『わたしたちは夜間中学生』」 6.「夜間中学を育てる会」 7. NHKラジオ 「二五年目の教室」 8. 夜間中学の歴史に残る「革命的大会」第一八回全国夜間中学校研究大会 9. 形式卒業者の入学 10. 府外居住者の夜間中学入学を排除 11. 大阪府内の夜間中学増設運動 12. 一九九四年二月二二日合意 13. 「いやなら〈国に〉帰ったらいいやん」許せない差別発言 14. 夜間中学開設二五年記念の集い 15. 卒業後の学びの場 16. 太平寺分教室独立運動 17. 日韓識字文解交流 18. 髙野雅夫の「公開質問状」が提起していること 19. 「学びは運動、運動は学び」 20. 大阪の闘いが、全国に、そして夜間中学の法制化へ 21. 国連識字の一〇年最終年の集い ―関西から世界へ学びは生きる力― 22. 国会議員一一人、大阪の夜間中学に 23. 文部科学省への手紙 24. 「NHK関西熱視線」 そして第2部のまとめとして、25. 夜間中学の「生命線」として記述した。
また、近畿夜間中学校生徒会連合会がとりくんだ 就学援助補食給食の復活を求める闘いなどは、第3部「闘う」で扱った。

夜間中学運動についても次の4点にまとめた。
一つに、夜間中学運動の主体はいうまでもなく夜間中学生と教員である。当事者の立ち上がりが重要だ。教員が代わりをしてはいけない。生徒会連合会がとりくんだ、就学援助補食給食の闘いがそのことを証明した。「代理戦争はあかん」ということを。運動が学びの中味を問い、生み出された学びが次の闘いの舞台を回していった。「代理戦争」は付け焼き刃だ。
二つに、昼の義務教育は学習者が一人でもいれば、学びの場は再開される。夜間中学はそうはいかない、学習者が少なくなれば、潰されてしまう。そんな歴史を持っている。夜間中学生は自らも学びながら、義務教育未修了者に夜間中学を届けるとりくみを行っている。街頭でゼッケンをつけ、ビラを配り、募集活動をおこなっている。奪い返した文字とコトバで、テレビやラジオに出演し、語りかけることも重要だ。新聞の投書欄に投稿することもおこなっている。「一枚のビラのおかげで入学できた」(夜間中学いろは)。あのとき、駅前で受け取った一枚のビラが、夜間中学入学のきっかけであった。このように語る夜間中学生は多い。学齢の子どもたちが募集活動をしている例はおそらくないであろう。
三つめに、夜間中学の学びの中味づくりが重要であること。昼のカリキュラムの流用を排し、夜間中学の学びを確立することが求められている。「趣味と教養の学び」を脱して、自立した個人として社会参加できる力の獲得が重要ではないか。韓国の文解運動から夜間中学は指摘を受けた。「皆さんは、獲得した文字とコトバでどんな社会活動をされていますか?」と。
四つめに運動の力に依ってしか、夜間中学はその場所も、中味も作れないということだ。でなければ、権利としての学校ではなく、恩恵としての学校でしかないものになるということをわたしたちはしっかりとこころに刻んでおきたいと思う。
夜間中学生の「学び」が教育と社会を変える!そんな夜間中学を追求しようではないか。このように主張した。