夜間中学その日その日 (603)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年3月11日
- 読了時間: 3分
『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』が取次ぎを経て各書店に並ぶ、3月20日を前に、3月9日、東大阪市で出版完成報告会を行った。執筆者が一堂に会し、本に寄せる想いを語ろうというのが私たちの想いであった。執筆した夜間中学生が正面座り、42名の参加者と対面する形で始まった。
夜間中学生の席に座った、髙野雅夫さんは、先ず「文科省の下請け」になる今の夜間中学の状況の危険性を指摘し、マララが語った「一人の子ども、一人の教師、1本のペンと1冊の本が世界を変える」のように、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』が世界を変える1冊にしていこうと挨拶を行った。

電動車いすで参加した卒業生の大西さんは「髙野雅夫さんがいたから、私は今、ここにいるんだ」と語った。夜間中学生と募集の看板を見つけた時の喜び、しかし温かな学びの学校が冷たくなっていく現状を語った後、夜間中学のあゆみの学習の必要性を訴え、6月2日に開催する「天王寺夜間中学開設50年」の集いを同窓会が中心に取り組んでいることを報告した。
近畿夜間中学校生徒会連合会の会長を務めた3人の夜間中学生は、この3月、夜間中学を卒業する。今の夜間中学の急速な変化と、夜間中学で大切にしてきたことが失われていく危惧を語った。しかし、「あきらめてはいけない」「これからの夜間中学のために、一致団結してとりくむことが重要」「その原点が髙野雅夫さんがこの大阪で取り組んだ夜間中学開設運動」「夜間中学で在日朝鮮人のあゆみを学んだことの感激」「就学援助、補食給食の大阪府補助復活の生徒会の闘い」を熱く語った。
沖縄から参加した元夜間中学教員、金城実さんは夜間中学の教員になることを進められ、なったが、「勉強せなあかん、闘わなあかん」と教えてくれたのは夜間中学生だと語った。
執筆したジャーナリストは、自身が書いた夜間中学の記事が、夜間中学の授業で使われ、それを両親が学んでいる。夜間中学で学んだ両親の変化を「社会との接点ができ、奪い返すべきものを、奪い返した」と語った。
元夜間中学教員は、発足当初の夜間中学生が夜間中学の学びについて、教員とぶつかり、その変更を求めた闘いがあったこと。先生たちの力は借りない、自分たちの力で、学びの場を設けていった「かえるつうしん」のとりくみを紹介し、夜間中学のあるべき姿がここにあると語った。
「教育機会確保法」が施行され、国あげての夜間中学の動きに対する危惧の発言が相次いだ。「国のいう、夜間中学は本当の夜間中学といえるか、糾していくべきではないか」。外国人労働者を有効に「活用」する、国益のための「国策夜間中学」だ。関西で追求してきた夜間中学ではない。重要な指摘である。編集委員会が主張する「官制の夜間中学」から「市民の夜間中学」をという主張と同じだ。
出版編集作業を通して、次の課題が明らかになってきた。
「夜間中学とは?」と問われれば、社会や教育の「裁判所」と答えるべきではと提起した。社会のひずみ、欠落部分、教育の欠陥部分を告発し、指摘し、変革を求めていく裁判所。原告は夜間中学生、被告は国や社会や教育現場。そして裁判官は夜間中学生や人民というべきか。夜間中学は優れてそんな実践ができる場ではないだろうか。
4点のまとめを行った。①天王寺夜間中学開設50年の集い(2019年6月2日 天王寺夜間中学同窓会主催)の成功。②「関西夜間中学運動50年に叫ぶ想い―4名の元近畿夜間中学校生徒会連合会会長と 50人の夜間中学生が語る―」 集い(日時:2019年6月、場所:東大阪・布施リージョンセンター (予定))③討論集会「夜間中学の過去・現在・明日」を語る ④市民の夜間中学を開設するために、50年目の夜間中学開設全国行脚を実践する。
舞台は大きく回転している。次のステージへ。