夜間中学その日その日 (604)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年3月21日
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第4部は「学ぶ」について扱った。
夜間中学にたどり着いた学習者・夜間中学生の半生、生活、仕事、学齢時の就学実態等を受け止めながら、学習要求の中味を教員間で議論を重ね、「まなび」の創造とその組み立てをおこなってきた。当然ながら、学齢の子どもたちを想定してつくられた教育課程、カリキュラム、それに基づく教科書は役立たなかった。自主編成による教育課程の編成をおこないながら、試行錯誤を重ねてきた50年であった。

「東大阪の夜間中学のとりくみ」では、多数の在日朝鮮人が通う、夜間中学として東大阪市立長栄夜間中学の報告を受け、議論をおこなった。その記録を収録した。開校間もない長栄夜間中学は在日朝鮮人が多数である実態をふまえ、校内研修で週一回・一年間、朝鮮語の学習を続けた。「国語」の呼称は「日本語」にし、外国語の授業は英語に限らず「朝鮮語」も開講した。また夜間中学の教材作成にとりくみ、カリキュラムを創造していった。一方、夜間中学生の卒業問題、夜間中学の開設運動へととりくみを展開していった。
この実践は「ゆりかごから墓場まで」ではないが、夜間中学の教室から出発し、卒業後のコミュニティということで「うりそだん(日本語で・私たちの書堂)」を夜間中学の昼の時間に学ぶ場の開設を行政に要求して実現した(1994年)。その核となった在日朝鮮人一世の女性・オモニ(朝鮮語でお母さん)の夜間中学生たちに学びつつ、それにふさわしいオモニたちの居場所としてディサービス事業の「さらんばん(日本語で・客間)」や街かどディハウス「あんばん(日本語で・居間)」へと、日本中どこにもない、在日朝鮮人のコミュニティへととりくみを展開してきた。
夜間中学から地域コミュニティの創造へ、こんな展開を図った夜間中学の実践は東大阪の夜間中学が初めてではないか。夜間中学の明日を考える大きな提起であると考える。
福島俊弘(天理の夜間中学)さん執筆の「夜間中学生の学びと夜間中学文化」では義務教育を保障されてこなかった大人の人のための中学校、「夜間中学」における文化とは何かの論考だ。
夜間中学は「仕事保障、子育て、近所づきあい等すべての社会生活、家庭生活の上にのしかかっている不合理な現実を教育の部分で取り除くべく営まれているのが夜間中学だ」と主張している。
夜間中学教員の仕事について次のように述べている。「中学といっても鉛筆を持ったことのない人もいるのでその内容は、小学校教育の部分も多く含まれている。苦闘しながらも、夜間中学生の人生にじっくり耳を傾けることから始まる夜間中学教員の仕事は、魅力多い仕事でもある」。
夜間中学生、一人ひとり違う、背負ってきた歴史や文化を教員が丁寧に聞き取り、願いを受け取って教材化する方法についての実践が書かれている。
守口夜間中学は、積極的に夜間中学の学びを公開している。「交流によって、昼の子どもたちや教員は、夜間中学生の『学ぶ姿』を受け止め、新たな認識を抱く。夜間中学生は、自らを語ることによって自己解放・相互理解につなげ、自分たちの学びの確認ができる。また夜間中学の存在意義を発信する場ともなっている」として、交流を通して、夜間中学生や訪問者である小、中、高校、大学生そして教員の変化を報告している。「昼の子どもたちに夜間中学の学びはどう映ったか」「高校生の場合」「夜間中学生の訪問交流」「島根県の修学旅行生たちとのつながり」「守口市内の小学生と共に学ぶ」「僧侶研修生との交流続く」「学校の先生方とも交流」の柱で記述している。
恐らく、国や文科省が思い描いているとは対極の夜間中学の学びを大切にしたい。官制の夜間中学に対峙する学びの実践を提起している。
これら夜間中学の学びの創造は、教員の力量を高める実践だ、夜間中学生に鍛えられ、生まれ出るものは、昼の学校の実践にも大いに参考になる。かつて「夜間中学は教師の道場だ」といったことがある。こんな場がたくさん誕生していくことは大歓迎だが、自然と生まれてくるものではない事も明らかだ。