夜間中学その日その日 (605)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年3月26日
- 読了時間: 4分
読者からの手紙(1)
編集委員会に送られてきた、新著を読まれた感想の手紙を紹介する。どのように受け止めていただいたのか、編集委員会は大変気がかりである。2019.03.26
『生きる 闘う 学ぶ』を少しずつ読んでいる。ほんとうに中身がぎっしりなので、少しずつ読まなくては、とても頭に入らない。
まず、カバーの絵に見入る。老若男女・外国人もいる。チマチョゴリや車椅子の人はいないようだ。「みんなの夜間中学」という旗を持っているのは髙野さんだと思っている。
いいなあ、この表紙は!

「はじめに」という項を読んで、私は非常に強く衝撃をうけた。ここには編集委員会の主張を書いているのだが、夜間中学の学びとして、「自己否定から自己肯定へと転換を図る学び」とあるのだ。私は学ぶということを、このような捉え方で考えたことがなかった。
私の学校生活は一体何であったのか?と激しく思えた。高校までは優等賞をもらう生徒であったのに、その後自己の崩壊から自殺まではかり、自己否定のみといっていいほどの真っ暗闇の中に長年苦しんできた。私の学びとは一体何であったのか。私のことば、文字の習得とは一体何であったのか。
また、その次の項に、「生き方・人生・生い立ちを学習の中に登場させる」とある。私はここにも強い衝撃を受けずにはおらなかった。私は学びというものを、このようにとらえたことはなかった。しかし今、戦争を通して両親のことを個々の人間として見直し、それは即ち自分という存在をいやでも認識せざるを得ない状況をかえりみると、この項がまっすぐに心の中に入ってくる。いまだ自分を肯定できるような強い気持ちにはなれていないけれども、なるほどこれが学びということなんだなと、深い感動を覚えた。
こんな2項目を挙げることができる編集委員の人々とはどんな人々なのであろうか。よほど深い洞察力がなくては、また、その力を身につけるほどの体験がなければ、こんなこととても言えない。私の教師生活に、このような視点がしっかりと据えられておったなら。今更のように後悔が湧いている。
官制教育の中で教師になったのだから、夜間中学の教師の中にも生徒を制度内に押しとどめようとする者が当然いるであろうことは容易に考えられる。実際ここにもそのような教師を告発し、変革を促す50年の歩みであったと書いている。そして、その告発の出来事として、第18回の研究会での須尭信行君の発言に私は本当に強い衝撃を受けた。ここには、誇張も卑下もないほんとうのことが述べられている。貧乏を考えたとき、もう涙がでる。よくぞ自分の心の中を、生い立ちを、これほどまでに表現し得たものだ。
さらに高橋敏夫という人の「いかり」という文章から、形式卒業生というこんな現実があったのだ、と新しい驚きと怒りを禁じえない。今まで学校で勉強していなくても、義務教育の卒業証書を与えるのは、その生徒の高校、大学への道を残しておくための方策とばかり考えられていたので、高橋さんのような子たちがたくさんいるとは、パーッと目が開かれた思いだ。私は骨の髄まで官制教育者であったのだ!
もう一つ、どこに書いてあったか、絶対に忘れてはならない文があった。「文字やことばの学習が、批判にならねばならない」という一文。言い方は違うかもしれないが、私はこの箇所にも心が動かされた。学校教育を通して、私たちのものの考え方、感じ方までも、国家の思い通りの人間の複製ばかりが作られていっているのだ、という改めての思い。だから、社会の在りよう、国の政治の在りよう、我々の扱われよう、国からの仕打ち、他人からの仕打ち、もろもろのことに対して疑問など起こらない、これが当たり前と根っから思わされている。私の学習とは、ほとんどの教材が従順になる羊を育てる方向に使われてきたのだろう。私が読んできた文字、使ってきた言葉は何だったんだろう。
批判とは、やみくもに反対やクレームを唱えるという意味ではなく、ほんとうのこと、ものとは何かを見極めていくこと、と受け取った。
私は文字と言葉を生きるために使っているか?単なる知識ばかり詰めこんできたのではなかったか?「学び」の最も根源的で、最もシンプルな地点を提示してくれた、この本。
最後に今、各都道府県に1つ夜間中学を作ろうとしているが、これはすごく心配だ。敵陣に夜間中学という存在を、うまく利用されたようなものだ。オウンゴールみたいなものだ。不登校生や外国人などを、まとめて面倒みさせようというのではないか?
教師などをどうやって工面し配置するのか、「学びのスラム」になりはしないか、心配だ。