夜間中学その日その日 (608)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年4月10日
- 読了時間: 4分
『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』編集委員会
関西夜間中学運動50年を前に、2015年3月、私たちは本格的に議論を始めた。この4年間、夜間中学をめぐる情勢は激しく変化した。50年間のあゆみの議論と同時に、この変化の分析の議論にも多くの時間が必要であった。それらの議論は、「はじめに」「夜間中学の『生命線』(あゆみの最終節)」「明日の夜間中学に」で扱っている。見解を異にする方も多くいらっしゃると想像するが、ここでは、「明日の夜間中学に」を6回に分け紹介する。みなさまのご意見をお願いしたい。
明日の夜間中学に(1)
① 「夜間中学、教育現場の変化の最先端をいく」
夜間中学に勤めるようになったころ、夜間中学現場では、「夜間中学は社会の縮図」「教育現場の変化の最先端をいく」ということが、関係者のあいだでよく語られていた。勤務した夜間中学では、80年代後半、登校拒否をし、卒業証書受け取りを拒否、学齢を超え夜間中学に入学をしてくる15~16歳の子どもが在籍の一割に届く実態があった。学齢時在籍した一人ひとりの在籍校を訪問、話し込みをおこなったが、家庭環境はもちろん、在籍実態も学校は充分に把握されていないことが分かり、唖然とした経験がある。進路保障の研究会で、報告をすると、昼の学校現場を告発しているとだけしか受け取られず、夜間中学側の真意が理解してもらえなかった。程なく、いま「不登校」と呼ばれている子どもたちの存在が社会で盛んに取り上げられるようになった
中国残留孤児や残留邦人の家族の夜間中学入学が途絶えなかったのもこの時期だ。大阪府教育委員会から、入学の依頼を受け対応したこともある。日本と中国との卒業時期の違いから、中学3年在籍で帰国しても、学齢を超えているから、昼の中学校へは編入できませんという教育委員会の判断で、夜間中学編入学の紹介を受けたという、このケースも途絶えることはなかった。その判断をした、教育委員会を夜間中学生でもある両親と訪問、別の市では、同様の事例で、昼の中学校で受け入れている、子どもたちの将来を考え、再考するように話し込んだ。

理解の低い教育委員会担当者の「学齢を超えた、外国籍の人たちにまで日本の義務教育を保障しなければならない義務はない」との見解を聞いたときは、その見識を疑い、厳しく訂正を求め話合いをおこなった。
中国引揚げ帰国者の、夜間中学での学びと、通学条件を確保するため、職場を訪問、経営者と話合いをおこなった。生活習慣の違いから、生じた地域住民とのトラブル解決のため、団地の集会所で話合いを持ったり、夜間中学に毎日通学できない人たちのため、学習会を企画することもあった。国立循環器病院に入院した夜間中学生の手術に立ち会い、執刀医の日本語を中国語に別の夜間中学生が通訳し、手術を成功に寄与するとりくみも夜間中学教員の任務の一端である。
近畿夜間中学校生徒会連合会総会で、残留孤児の夜間中学生が意見発表をおこなった。夜間中学に通いながら、大切な生徒会活動に十二分にかかわることができていない中国引揚げ者の心苦しさを語り、日本と中国の卒業時期の違いから、昼の中学に編入学が認められず、仕方なく、生活のために、働き始めた子どもたちの実態を発表した。これを聞いた、一人の在日朝鮮人がマイクを持った。「この国は50年、60年前、私たちにやったことと全く同じことを今もやっている。私らが訴えたことを教育委員会が受け止めていたらこんなことは起きないのに、怒りがこみ上げてくる。同じ夜間中学生同士、力を合わせてとり組んでいきましょう」と応じた。
夜間中学で積み上げた中国引揚げ帰国者のとりくみのケーススタディーは、少し遅れて、昼の学校に在籍が増えていった、その取り組みに活かされていった。
戦後、南米に移民していった人たちが70年代、日本に戻ってくる時期があった。故郷には直接帰らず、夜間中学の在る大阪にとどまり、日本での生活をスタート、働きながら、義務教育を受けるため、夜間中学への入学者が増加した。
70年代後半以降、ベトナム難民、インドシナ難民が夜間中学にも入学があった時期でもある。雇用促進事業団の住宅団地が近くにある夜間中学は在籍が多くなった。
天王寺夜間中学が開校した1969年6月、89人の夜間中学生が入学式に参加した。朝鮮半島出身者は5人。それ以外は全て日本国籍で、30~10代が80%をしめる割合であった。「あゆみ」で記述したように、朝鮮出身の夜間中学生がNHKテレビ番組に出演し、夜間中学で学ぶ喜びを語った。小学校を卒業していなくても、外国籍であっても、夜間中学に入学できることが知られるようになり、多数の朝鮮人が入学した。このように、夜間中学は社会の縮図であり、教育現場の変化の少し前をいっているということが確認できる。