夜間中学その日その日 (613)
- 『生きる 闘う 学ぶ』編集委員会
- 2019年5月12日
- 読了時間: 3分
関西夜間中学運動50年を前に、2015年3月、私たちは本格的に議論を始めた。この4年間、夜間中学をめぐる情勢は激しく変化した。50年間のあゆみの議論と同時に、この変化の分析の議論にも多くの時間が必要であった。それらの議論は、「はじめに」「夜間中学の『生命線』(あゆみの最終節)」「明日の夜間中学に」で扱っている。見解を異にする方も多くいらっしゃると想像するが、ここでは、「明日の夜間中学に」を6回に分け紹介し、みなさまのご意見をお願いしたい。
きょうは5番目の記事である。

明日の夜間中学に(5)
⑤ 新渡日生徒たちの学び
新渡日の外国人生徒たちは、一日でもはやく日本語をおぼえたい、それも読み書きは後回しにしてでも、相手のいっていることが分かるように、片言でも返事ができるようになりたいという切羽詰まった思いで夜間中学に入学してくる。教員もこの期待の答えるべく、学習の組み立てを考え、生活に出てくる言葉や漢字、「生活日本語」で日本語の学習に力点を置く。夜間中学生も日本語が身につき、夜間中学の学習に喜びを感じる。その喜びを学ぶ意欲に変え、疲れたからだで、職場から夜間中学に通う。教員の方も学習者の学び意欲に応える教材づくりに力を注ぎ、充実感をおぼえる。
しかし、ある程度日本語が身につくと、休みがちになってしまう。夜間中学より仕事を優先せざるを得ない日常生活の状態だ。長期の欠席状態になり、夜間中学から除籍となってしまうケースが多い。そうでなくても、長期の欠席状態から、ある日、登校してくることがある。勤めていた会社が倒産になったとか、やめさせられたとか、次の仕事が見つかるまで、少しでも学んでおきたいと登校をはじめる。
そうではない夜間中学生も多い。毎日登校できない仲間の代わりができないが、生徒会活動には必ず参加し、その活動の内容を仲間に伝え、学校につなぎ止めておく努力をしていた夜間中学生も生まれてきている。
「教育機会確保法」が施行されるまでは、夜間中学は「日本語学校ではありません」、「日本語だけを勉強される方は入学できません」と入学を断ってきた教育委員会や入学受付窓口の担当者の姿勢であった。
法の施行後、労働力不足を新渡日の外国人で賄おうというのが国の考えだ。このように夜間中学が「日本語学校」化していくとしても、国は問題視しないであろう。それがねらいなのだ。獲得した文字と言葉で社会活動をする、その学びの深まりや、夜間中学生の生徒会活動を弱体化させることを目論んでいるなら、もっけの幸いと考えているのではないかと見てしまう。
夜間中学での新渡日外国人生徒の学びを一言で言えば「外国人労働者としての自覚を持って、社会参加をするちからをつける」ものだと考えている。
多様な雇用形態のほとんど底辺に近いところで働かざるを得ない新渡日の外国人生徒たちが新自由主義や市場原理主義が取り巻く今日の日本社会で、格差社会の一方の層、それも最も悲惨な層に落とし込められないために、働く者の自覚をもって、労働者としての権利を主張し行動できる力を獲得しておかねばと考える。
そういった社会的立場の自覚と共に、不条理な状況から脱するすべを知らなければならない。そんな学習も夜間中学の学びの大きな柱にすることが問われている。
もう一つは「自文化」を失わないように、夜間中学の学びのもう一つの柱は「アイデンティティ」の尊重である。母国の文化や素養を身につけたまま暮らすことができる日本社会の変革を促す学びを夜間中学の学びとして創造し、カリキュラムの編成と教材づくり、そしてそれに基づいた教育活動を実践していくことが必要ではないだろうか。
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