夜間中学その日その日 (616)
- 白井 善吾
- 2019年5月26日
- 読了時間: 3分
〝夜間中学の電話帳〟髙野雅夫編著『자립(チャリップ:自立)』(修羅書房)
「夜間中学のことで困ったときはこの本のどこかに書いてある」。夜間中学教員の多くの先輩がよくこのように言っていた。私がこの本を手にしたのは、夜間中学の教員になる前、1984年頃であったと思う。この存在は聞いていたが、なかなか手に入らなかった。半ばあきらめかけていたとき、大阪市内であったある研究集会の会場で髙野雅夫氏が書籍を並べているのに遭遇した。ずっしりとした重みが伝わってきた。購入をし、何日かかけ読んだ。とても不親切な本であった。目次はないし、途中に資料は挿入されているし、読みにくい本であった。

後に守口夜間中学に転勤したとき、学校には1975年の初版本が2冊所蔵されていた。何人もの人たちが手にしたのか、だいぶくたびれ、糊付けが弱くなっていた。この本が完成したとき、髙野さんはかつて全国にあった夜間中学にこの本を届けながら、東京を出発、沖縄への旅を行った。1975年のことだ。守口夜間中学を訪れた写真が「差別の根を断ち切るため〈長征〉」(アサヒグラフ18号1975年)に収録されている。その頃も髙野さんはアポイントは取らず、ある日突然訪れたのではないかと想像する。しかし写真は、黒板を背に、夜間中学生に話をしている。「髙野さんの話を聞きたい」との夜間中学生の声、「髙野さんの話を夜間中学生に聞いていただくことが大切だ」と判断したのだろう。2019年の現在、「事前に連絡をください」という声が聞こえてくる錯覚を覚える。
『자립』は夜間中学のことでわからなくなったとき、頁をめくればどこかに必ず書いてある、回答を見つけることのできる不思議なありがたい本でもある。私たちも何度も助けられた。
神戸学院大学の寺田朱李さんが卒業研究で『자립』を読みこなし、目次と索引を完成された(『NAGATAのチカラVol.5』2018年度神戸学院大学地域研究長田センター活動報告書)。「寺田私用版」と控えめに書かれているが、労作である。チャリップに収録されている「わらじ通信」の詳細な読み込みと分析作業の過程で作成されたと考える。
天王寺夜間中学開設50年を前に、私も改めて「わらじ通信」を読み返している。1968年10月11日、大阪に到着して、どのように活動したか、克明に記録されている。点と点が、つながり面となり、複数の面が交差して空間を形づくる。大阪府教委、大阪市教委、大阪教職員組合、部落解放同盟、総評、府と市の議会委員会室などの「場」が時間と空間を超えて関連を持ち始める。当然その関連を追求した髙野さんの毎日の行動が大きく作用している。
吉沢教育長(当時)が大阪府決算委員会で「夜間中学を設けたい」と答弁した頃、「わらじ通信」には次のような記述がある。
「夜間中学への先生の人選、生きているついでにやる教師じゃなく、自己の教育実践で勝負してやるという教師でなくちゃだめだ」
「(夜間中学を)さまざまな教育実践の場として最大限に活用すべき」
「(夜間中学開設運動は)現体制との対決の中で勝ち取っていく闘争(権利)の成果だ」(1969.02.10)。
夜間中学の存在意義が的確に記されていると考える。
2019年4月、川口市と松戸市に開設した両夜間中学に髙野さんたちは「ご参考に」と『자립』をはじめ夜間中学関係の書籍など資料を開校記念に寄贈されたと聞く。
Comments