夜間中学その日その日 (620)
- 白井 善吾
- 2019年6月16日
- 読了時間: 4分
「わらじ通信」を読む
学齢を超えても義務教育が保障されるこんな学校教育制度を持っているのは日本の夜間中学だけです。このように話されていたのは韓国の黄宗建先生であり、都立大の小沢有作先生であった。しかし学校教育制度からくる制約は夜間中学の学びを骨抜きにし、学習者を失望させるものであった。学校教育制度が持っている良さを最大限生かし、夜間中学生の学びを阻害するものを改善していく。これに腐心してきたのが夜間中学のあゆみであった。
1990年国際識字年を契機に夜間中学は学校教育以外の人たちとの交流が大きく進んだ。その一つが天理大の内山一雄先生と夜間中学の立ち位置について議論を行ったことだ。その議論の結果生まれたのが「識字学級型教育」と「文部科学省がいう学校型教育」の比較表である(「夜間中学のこれから」『部落解放』2019年6月号82頁)。夜間中学は限りなく「識字学級型教育」で実践することであった。
関西夜間中学運動50年を前に、『生きる 闘う 学ぶ』の編集作業を通して、髙野雅夫さんが夜間中学開設運動を実践、母校荒川九中夜間中学に送り届けた「わらじ通信」を改めて読み直した。そこでわかったこと、1967年から1969年にかけ髙野さんが書いた「わらじ通信」に90年代に私たちが行った、比較表の議論が展開されていることが分かった。

「わらじ通信」に書かれていて、改めて「ハッ」とした記述の個所を紹介する。
1.「大阪市内夜間中学設置運動が、単なる善意運動と本質的に全く違う現体制との対決の中で、勝ち取っていく闘争(権利)の成果だ。俺の任務はその起爆剤になること以外にない」(1969.02.10)
2.「この運動は被害者への同情を訴えているのではない。日本の教育、社会福祉、経済、政治の矛盾に対する告発であり、非情な社会への挑戦なのだ」(1969.02.17)
3.「現に義務教育未修了者がいて、21の夜間中学があり、大阪市内から神戸まで通学している生徒がいるのだ。あくまでもこの人たちが主役なのだぞ。この人たちの教育権と生存権を守るためにこそ法律があるのだ。勘違いしないでもらいたい。この人たち一人一人が原告なのだ。手前たち一人ひとりが被告なんだぞ」(1969.02.22)
4.「九中二部(夜間中学)で学んだコトバと文字を最大の武器にして、あらゆる差別と闘おうじゃないか。人間が、人間として認められる社会―人間が人間扱いされる社会をつくるために」(2019.03.09)
5.「ぼくらの最大のテーマは〝義務教育の完全実施〟なのだ。形式的な中卒(学歴)や紙切れ一枚の卒業証書じゃなく主体的にものを考え、変革していける人間教育をしろということだ」(1996.04.01)
6.「ただ読み書きを覚える(教える)だけでは無意味なのだ。奪われた権利を主張すると同時に仲間の権利を守るためにも主張しなければいけない。差別をなくすために学び、差別をなくすために生きるのだ」(1969.04.04)
7.「人間の変革→地域改革→社会変革 この具体的事実が教育の夜間中学の重要性(必然性)を証明している」(1969.04.13)
8.「ぼくらにとって教育とは、知識の詰込みではなく、奪われていた権利を主張すること、つまり差別をなくすための、文字やことばなのだ。だから自分だけが夜間中学に入れたり、卒業したら良いという事でなく、自分と同じように差別を受けている人たちが一人もいない社会を作るために、より多くの人たちに夜間中学の存在と入学希望者の発見を訴えようではないか。夜間中学で学ぶことは誇りでこそあれ恥ずかしいことではない」(1969.04.16)
9.「この運動に込められた、ぼくらの主張は同情や賛美ではなく、差別に対する怒りなのだ―ぼくらを夜間中学に追いやった奴等(社会体制)さらに廃止しようとする奴等(社会体制)―に対する告発なのだ。ぼくら一人ひとりの心と身体に刻み込まれた傷がうずく限り、怒りが燃える限り―ぼくらは絶対に泣き寝入りはしない。沈黙はしない。ぼくら夜間中学生が原告だからだ」(1969.05.04)
10.「各地で夜間中学が廃止されていく歴史的事実の中で、OB組織必要性をいやというほど痛感―東京を発火点に全国のOB組織を作るべきだ。夜間中学の歴史こそ、戦後の教育史だ。その誇るべき歴史の一頁作ったぼくら一人ひとりがみんな主役なのだぞ」(1969.05.15)
11.「夜間中学廃止に対して、過去20年間文部省は一度でも対策をたてた事があったか?否だ‼ 沈黙という態度で、むしろ廃止の方向を打出しているではないか。自から闘わない限り、武器をもって立ち上がらない限り死を待つのみだ」(1969.05.16)
12.「この運動は‶空気をよこせ〟という人間の基本的権利の主張なのだ。教育権を奪われた人たちは生存権まで奪われていく現実の中でぼくたちは絶対に泣き寝入りできない。すべての人たちに義務教育を受ける権利があるのだから、ぼくらは〝空気をよこせ〟〝空気を奪うな〟と叫びつづける」(1969.06.02)
13.「入れものはできた、そこでどんな教育を創り、どんな人間に変革していくか?自ら受けた差別の歴史にどこまで挑戦していくか、そこまで確認しない限り『夜間中学設置』の目的は果たせない」(1969.06.06)
1969年2月から6月にかけての引用になったが、髙野さんの主張は夜間中学開設運動の壮大なビジョンとその実践は明日の夜間中学にも輝きを増す〝灯〟だと考える。