夜間中学その日その日 (1040) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 7月18日
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社会が世界が見えるようになること(7) 2025.07.19
―今でも反省しきりなんですが、夜間中学の教員であるとき、毎日の出来事に忙殺させられ、視点を変え、別の角度から考えるということができなかった。天王寺夜間中学が開設され25年を迎えることの指摘を最初に受けたのは髙野さんからでした。近畿の夜間中学で実行委員会が組織され、実現したのが「夜間中学開設25年 さらに増設を‼ 髙野雅夫さん人権賞と出版を祝って」の集まりでした。
髙野:玉本(格)先生、五島大教組教文部長をはじめ開設運動でお世話になった皆さんに来ていただいて、話を聞くことが出来ました。そして新しい仲間に、届けられたことは本当に良かった。タイミングがあるんですね。あの時にしか開くことができなかった。そのあと多くの人はお亡くなりになった。そして近畿夜間中学校生徒会連合会の取り組みとして400人を超える参加者がありました。

―この“紙芝居”を書かれたのは2015年、資料整理作業の合間に書いておられました。
髙野:行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告は(1966.11.29)。怒りを込めて証言映画「夜間中学生」の撮影開始(1967.1.8)。そして6月完成。それをもって、全国行脚に挑戦(1967.9.5)。青森・北海道(54日)・岡山(72日)・京都(106日)。しかし、どんどん潰されていく、途中から廃止反対から夜間中学増設へ切り替えました。当時大阪には夜間中学がない。そんなはずがない。仲間は必ずいる。確信して、大阪に乗り込みました。1968年10月11日です。「けんぽう守れ‼すべての人に完全な義務教育を‼」と訴えました。
―『자립』に収録されたわらじ通信は夜間中学の授業でよく取り上げました。今日はO月O日。30年前のこの日、髙野さんは大阪で次のように開設運動をとりくんでいますと、わらじ通信に書かれた一日を紹介します。みんながびっくりしたのが、1968.11.23の記事です。この日、桂米朝 司会の関西テレビ「ハイ土曜日です」に出演して生き証人・小林晃さんが名乗り出たわらじ通信です。「うまく運ぶときは何もかもこのようにつながっていくんですね」夜間中学生が言いました。「15回全夜中研大会―関西テレビで夜間中学を取り上げる―髙野さんたちが出演する―小林さん家族がその放送を見ていた―関西テレビに小林さんから電話が入る―番組ディレクターがそのことを髙野さんに伝える―小林さん宅へ行きましょう」とつながっていく。
―授業では一番盛り上がるところです。越境は差別ですと言っている大阪市や教育委員会の「メンツ丸つぶれ。ええ記事書いてくれました」。夜間中学生は机をたたいてこういいました。
髙野:この記事の最後は「神戸市に迷惑をかけて申し訳ない。設置を前向きに考えたい」と大阪市教委のコメントがあります。この記事が出て、玉本先生も神戸市教委から呼び出しがあったが、「なにもなかった」と言っておられました。
―大阪での髙野さんの増設運動を撮ったドキュメンタリー番組がありますね。25周年の集会で上映された「浮浪児マサの復讐」ともう一つ…。
髙野:関西テレビの「16年目の入学」(1969/4/13)です。放送の日、私は小林晃の家へ行っていました。家族と一緒に途中まで見ました。母親が「晃が漫画の本を見て笑うようになった」と小林晃の変化をこのように言いました。
小林晃が一斉授業で、文字の獲得は難しいと考えた西野分校の先生たちは、1対1で同じ名前の小林先生とひらがなの勉強を始める様子を克明に写していました。生徒の状況に応じて、授業も組み替え、対応した。夜間中学の「原点」を見ることができました。
このように獲得した文字とコトバで綴った小林晃の文章を1969年2月府議会で質問に立った井口正俊府会議員は読み上げて、吉沢教育長に夜間中学開設を迫りました。小林晃が書いた文章は、リバティー大阪の「夜間中学生展」でも展示しました。

―髙野さんはこの日、「16年目の入学」を最後まで見ず、大阪駅前の梅田の歩道橋で夜間中学生募集活動に出かけていきました。こんなことが起こるんですね。
髙野:天王寺夜間中学が開校することを確認して、通いやすい職場に代わるため、勤め先に挨拶に向かう、芦田正明親子に出会いました。「天王寺夜間中学は必ずできますね」母親からこう念押しされました。この出来事は決して偶然ではない。必然なんです。
―局面を的確に見抜く、そしてそれを言葉にする。この展開が繰り返し出てきます。「行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告を“死刑宣告 ‼”と見抜き、「野良犬から人間に育ててくれたおやじやおふくろが殺されると見定め、“殺られてたまるか!”といのちを賭けても死守すると心に誓い、日本の義務教育は世界一、99.9%保障しているという国に対し、“0.1%の叫び”をと切り込んでいく切り返し方を先生ではなく、わたしたち夜間中学生の先輩がいっていることは私たちの“誇りだ”と様々な場面で勇気づけました。
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