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夜間中学その日その日 (625)

  • アリ通信編集委員会
  • 2019年7月10日
  • 読了時間: 3分

関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い(2)

 「夜間中学生のチカラでこの集会をやり抜く。先生たちは口を出したらあかん」「そうであるのに、先生たちはいつも、口を出し、手を出し、生徒の持っている力を奪ってきた」「どこまでできるか」「たとえ、そこでひっちゃかめちゃかになっても悔しかったら、そこから立ち上がったらよい」。髙野雅夫さんは以前から、こう主張していた。

 失敗はできない、そのためにはこんな準備をして、手立てを尽くして、と考えてしまう。教師の〝おもいやり〟が夜間中学生の持っている力をそいでしまうというのだ。集会で夜間中学生が発表するとき、事前に夜間中学生が文章を書いて、それを読み上げる発表の仕方を多用する。さらに、発表のとき、困らないようにと教師が夜間中学生のそばに付き添い支援するやり方を以前から髙野さんは厳しく批判していた。

 髙野さんの頭の中には、第18回全国夜間中学校研究大会で夜間中学生が体験発表を行った、場面の出来事が大きく影響しているのではないか。発表した夜間中学生・須尭信行さんは、夏休み、時間をかけて書き上げた文章は、夜間中学の教員によって、手を入れられ、大会資料集に収録されていた。須尭さんは、これでは自分の想いが伝わらないと、自身が書いた文章で発表を行った。1971年のことだ。北海道の古部美江子さんと九州筑豊の須尭信行さんがこの大阪で「形式卒業生の夜間中学入学」を主張し、文部省の中島課長補佐と対決した。

 夜間中学生ひとり一人はすごい力を持っている。50年たった今、これを確かめてみたい。そんな想いがあったのではないか。

集会の基調を出し、事前に手立てを尽くそうと、教師であった人たちが主張したとき、そのように思うのであれば「別の機会にやればよい」。髙野さんはこだわった。一方、大変な結果が少しでも予想できるのであれば、「それは避けるべきだ」主張は平行線のまま当日を迎えることになった。

 「関西夜間中学運動50年のあゆみ」を呼びかけ人4名の夜間中学卒業生が50年全体をカバーして主張をする。これは大変難しい。私たち先輩が闘った50年を9年しかいなかった私たちが出来っこあらへん。荷が重い。初めての打ち合わせの時、4名から返ってきた言葉だ。

 同じ年にそれぞれ別の夜間中学に入学し、それぞれ連合生徒会の会長をやり、今年卒業した。夜間中学がなかったら、私ら街であっても他人同士。この夜間中学があったおかげで、このように知り合いになり、卒業した後の夜間中学のことが気になる。50年前この夜間中学を創った運動に、髙野さんに感謝して、呼びかけ人になる。こう決断してこの日を迎えた。

 呼びかけ人の発表に応え、舞台に上がりマイクを持った20名の夜間中学生や卒業生の発言を聞き、発言を求められた、萬稀さんは「髙野雅夫は一人だけれど、20人の髙野雅夫がいることが証明された」と語った。萬稀さんはこの日、カンボジアの識字活動現場から韓国経由で集いに参加していただいた。的確なコメントだ。

 
 
 
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