夜間中学その日その日 (639)
- 白井 善吾
- 2019年9月23日
- 読了時間: 5分
行政管理庁「夜間中学早期廃止勧告」をめぐって
行政管理庁が文部省、労働省、検察庁に発した『年少労働者に関する行政監察の結果に基づく勧告(いわゆる「夜間中学早期廃止勧告」)』(1966年11月29日)が出たとき、夜間中学現場では勧告をどのように捉え、行動したのかという質問を受けた。全国夜間中学校研究会の資料ではみることができなかった。
勧告は文部省・・・学校教育法にない夜間中学は法律違反。労働省・・・年少者が働くことは労働基準法違反。検察庁・・・夜間、学校帰りに盛り場などで非行につながるなどを主な内容とする勧告である。
髙野雅夫さんはこの勧告の新聞記事を見たとき「体中から血の気がすっと引き、やがて心臓がドキンドキンと高鳴り、震えがとまらなかった。それは、まさに俺にとって信じられない、突然の死刑宣告だった」と書いている(『夜間中学生 タカノマサオ』解放出版社 55頁)。
そして、年末、東京池袋で、母校の恩師・塚原雄太さんに会い「勧告をどう思うか」と尋ねた。塚原さんの答えは「どうって、俺たちは公務員だからな」「(反対運動は)今度もしないだろう」と書いている(同書 56頁)。
一方、塚原さんはこの場面を「『先生、先生は行政管理庁の勧告をどう思いますか』髙野雅夫は、ていねいに、しかし、重い語調で、私にこう聞いた。髙野雅夫には決意がある、と私は思う。目がぎらっとしたからだ。『君の方は?』『あります。協力していただけますか』『どんな協力?』『キャメラをまわしてもらいたいんです』」と証言映画の制作を提案している。続けて「撮影期間は1967年1月から3月までの3ヶ月。出演者は母校の全員。費用は髙野君が何とかできる、という」と書いている(塚原雄太『夜間中学』社会新報 230頁)。
この年の13回全夜中研大会は廃止勧告前の10月末に終わっている。翌年の14回大会でもこの勧告について議題にない。夜間中学教員は「俺たちは公務員だからな」に象徴されるように、廃止勧告に立ち上がっていない。
東京都夜間中学校研究会(都夜中研)の25周年記念誌には次のように記している。「この勧告に、夜間中学の生徒、教師、卒業生たちは大変なショックを受けた。手をこまねいていたら自分たちの夜間中学校が、いつつぶされるか分からない、うかうかしてはいられない」(『東京都の夜間中学校の歩み』1992年5月26日 33頁)とある。それにつづく文は荒川九中夜間学級がとりくんだ証言映画「夜間中学生」の制作の記述になっている。
都夜中研としてもう一つとりくんだこととして、「夜間中学の成果を確認していただき、いっそうの充実をはかってください」の集会決議(1968.3.10)をあげたことが資料として見ることができる。勧告が出て、一年半が経過していた。髙野さんの受け止め方と教師の受け止め方と大きな違いがある。
戦後50年を迎えた1995年6月、岩波新書編集部編『戦後を語る』が出版された。26人の執筆者の一人として髙野さんは「復讐から未来へー戦争孤児の生き・死にー」を15頁にわたって、散文詩風に簡潔に自分史をまとめて記している。そして廃止勧告を次のように書いている。「一枚の紙切れで、殺されてたまるか!殺せるものなら、殺してみろ!『夜間中学早期廃止勧告』は、生みの親と育ての親に対する“死刑宣告”なのだ!」と。
「岩波新書に載せられたあなたの文章を拝見しました。夜間中学そして「文字とコトバ」に対するあなたの気持ちがよくわかりました」との書き出しの手紙が髙野さんに届いた。差出人は村山富市内閣の総務庁長官 山口鶴男さんだ。手紙の日付は1995年7月13日。出版からひと月も経っていない。

山口鶴男総務庁長官は「勧告文を読んでいただければ分かるとおり、この勧告は夜間中学を何の手当もせず廃止するべきだというものではありません。昼間学校教育を受けられるよう必要な措置をとった上で、なるべく早く廃止するよう指導するべきだというものであり、『文字とコトバ』をすべての人にというあなたの考えと軌を一にするものだったのです」と書いている。勧告から約30年後の手紙だ。それまでの自民党一党政権とは違うところだ。さらに手紙には「現実に義務教育を修了しておらず、しかも勉学の意志を有する方がいる以上これらの方に対し何らかの学習の機会を提供することは必要です。そして、勧告後の状況の変化などを考慮すれば、当面、夜間中学がこれらの方に対する教育の場として有する意義を無視することはできないと思います」と書いている。
初めの質問に戻ると、勧告の翌年(1967年)当時、全国に夜間中学は21校【広島(3)、兵庫(1)、大阪(1)、京都(3)、愛知(1)、神奈川(5)、東京(7)】ある。第14回全国夜間中学校研究大会(1967.11.02)の大会宣言で「・・かくて夜間中学校は今や完全に文部省の術策下にその存亡を委ね、やがてはその意図する如く消滅への道を辿る運命にあるが、この事実はわれらの深く憂慮するところである・・」と書いているように、廃止勧告に教員は何も取り組めていない。
この時期、証言映画「夜間中学生」を携えた、髙野さんの全国行脚は青森・北海道を終え、岡山に行き先を定め、夜間中学開設運動を展開している。夜間中学生の一日を映像に収め、逆に夜間中学の開設を訴えていく髙野雅夫さんたちの闘いが唯一のとりくみではなかったろうか。
2019年現在「夜間中学早期廃止勧告」が発せられたとしたら、どんな闘いが展開できるかということを考えることは重要だ。教員は夜間中学生とともに闘いに立ち上がれるだろうか?夜間中学教育運動の先頭に立つ理論も夜間中学の学びでは重要だ。髙野さんが実行した夜間中学開設運動に学ぶ普段の夜間中学の学びが問われている。