夜間中学その日その日 (640)
- 白井 善吾
- 2019年9月27日
- 読了時間: 3分
どんなメッセージが発せられるか?
いま私たちはどんなメッセージが出せるかが問われている。
アピールではないメッセージだ。メッセージとアピールは異なる…。私たちはそんな議論をしていた。そして、議論は次のように落ち着いた。メッセージは立場が明確であり、衝撃をうけ、ハッと気が付き受け捉えられる、共感をよぶ訴えだ。アピールは単なる主張や訴えだ。
そしてメッセージの事例として、マララさんの国連演説「一人の子ども 一人の教師 一冊の本 一本のペン それで世界が変えられる。教育こそがただ一つの解決策です。教育を第1に」があがった。もう一つ事例であがったのが、スエーデンの高校生、グレタ・トゥンベリさんの行動だ。ニューヨーク国連本部で開催される、気候変動サミットに飛行機ではなく、ヨットで大西洋を渡った思想と行動についてだ。飛行機は大量のエネルギーを消費し、大量の二酸化炭素を発生する。ヨットは格段に少ない。ヨットの原材料を製造するときに発生するだけだ。
私たちは、地球上のすべての義務教育未修了者と日本の夜間中学生が、みたび、国際識字のとりくみを行おうというメッセージを国連の会議で行う。このことを目標の一つとして、関西夜間中学運動50年のとりくみを進めてきている。
50年前、髙野雅夫氏が大阪の夜間中学開設運動で打ち出したメッセージは単純明快だった。「義務教育未修了者の教育権の保障を」であった。
1968年10月11日、大阪に入った髙野さんは真っ先に、当時の大阪教職員組合を訪ねている。そして街頭で撒くビラ「大阪市内に夜間中学を!!」を作成している。そのビラに次のように書いている。
「夜間中学早期廃止」の勧告に反対して、我々夜間中学生・OB・教師たちは、
自から"証言映画"を制作し、そのフィルムを担いで全国行脚を続けている。日本の教育の基本である義務教育の問題を―。そこからハジキ出されていく(いった)子どもたちの問題を―。もう一度厳しく見つめてもらいたい。もし夜間中学が廃止されたら我々は憲法第26条に保障された義務教育の権利まで一切奪われてしまうのだ。中学を卒業していない人が居たら、ぜひ自らの権利を主張してもらいたい。ぜひ夜間中学に入学してください。この映画にこめられた数々の主張は同情や賛美でなく、差別に対する怒りなのだ。
1968年10月15日 大阪にて
東京、荒川九中夜間中学OB 髙野雅夫

それまでの夜間中学の主張「恵まれない人の救済という慈恵的なもの」から、「憲法で保障された教育の権利保障」という考えに裏打ちされた主張へと大きな変革があった。
国は学齢の子どもたちの教育は保障するが、学齢を過ぎた義務教育未修了者は受けなかった人に責任があるという姿勢を崩さなかった。これに対し髙野さんのメッセージは学齢に関係がない。15歳を過ぎた人にも教育を受ける権利があるという明確なメッセージだ。
このメッセージに応え、8人の"生き証人"が名乗りを上げた。この行動が天王寺夜間中学開設への原動力となった。それまでの夜間中学運動と明確に異なる点だ。
一県に最低一校の夜間中学を、すべての政令市に夜間中学の開設をの大号令が流れる中、私たちはどんなメッセージを発し、夜間中学生が主役の夜間中学を創ることができるか、重要な岐路に立っている。