夜間中学その日その日 (647)
- 白井 善吾
- 2019年11月6日
- 読了時間: 4分
畝傍夜間中学文化祭
なぜだろう、敷居が高くない。すうーっとその場に身を置くことができる。ずうーっと通っている学校のように、身構えなくてもよい。「いらっしゃい」「よう来てくれました」見知らぬ人からこう、声がかかる。
1年ぶりに、畝傍夜間中学第2回文化祭(2019.11.03)に寄せてもらったときのことだ。なぜだろう?考えた。だあれが先生で、だあれが夜間中学生か区別が付かないことが考えられる。指図されることなく、自由に動けている。立ち話をしていると、ここに座って下さいと椅子が持ってこられる。かしこまった挨拶はない。軽く会釈をするだけで済んでしまう。チジミや里芋のフライ、茶卵を売る接客で手が離せない。「ようきてくれました」後ろから声がかかる。
夜間中学の教員をしていたが、退職後夜間中学の校門を前にするとそこにはやはり敷居がある。所用があって訪れるときも敷居がある。
私が夜間中学を初めて訪問したのは、1972年、開設間もない八尾夜間中学である。校務員さんが玄関で場所を確かめているとき、「夜間中学にですか」と声がかかった。丁寧にその場所をお教えいただいた。所用を終え、玄関を後にするとき、また声がかかった。夜間中学を大切にされていることが伝わってきた。職員室から校門が見える、畝傍夜間中学の校舎は親しみがわいてくる。
夜間中学に入学しようと決意をし、訪れた夜間中学生の不安な気持ちを打ち払い、背中を押す雰囲気が大切だと想う。ところがどうだろう、照明もなく、薄暗い、校門は閉じられ、校門脇で、どうするか、しばらく考える。やっと見つけた、インターホン、ボタンを押して、何と言って来意を告げるか。入学者にとって決心がいる。そのうち、誰かがやってきて校門を開けるのを待ち、いっしょに門を入る。さまざまな関門をくぐり抜け、職員室にたどり着くのは至難だ。入学者の立場に立って、各夜間中学の校門を見直していただきたい。入学者の背中を押し、受け止める校門になっているかを。
毎週土曜日、卒業生の学びの場「ひびき」が畝傍夜間中学を会場に運営されていることもあるが、卒業生が多数参加されている。育てる会も縁の下の力持ち。エプロン姿の旧職員の姿もある。
畝傍夜間中学の文化祭が持っている雰囲気はというと、一つは教師の姿がないということだ。こうしましょう、こうして下さいと指示がない。10分前に次のプログラムがアナウンスされるだけだ。教師は裏方に徹し、縁の下の力持ちだ。
生徒会の壁新聞は、夜間中学生の手書きである。時間をかけて出来上がったことがよく分かる。これまでにつくった掲示物もこの日は掲示して、来校者を迎えている。何度も活用しておられる。文化祭が終わると、長い時間をかけつくった掲示物も丸めて、焼却用として捨てられてしまうのではない。何度も何度も活用されている。大切なことだ。来年で開校30年を迎える夜間中学の年表も、継ぎ足され、長い掲示物になっていった。これも夜間中学生の手書きだ。
「食べ物」も文化発表だ。夜間中学生の母国の食べ物を食券を購入していただくことができた。もちろん安全衛生に注意を払い、仕込みに時間をかけ、調理されていた。そのとりくみに協賛をする材料業者の名前も掲示されていた。多くの人たちに支えられている。
夜間中学生の作文発表もユニークだ。書き上げるのに要した時間は「みなさんが予想するより遙かに時間をかけた」(つくり育てる会会長)文章に仕上がっていた。一枚のチジミが夜間中学入学のきっかけになったと語った夜間中学生は発表者紹介をする先生のお褒めの語りに、横で「ごますり」のジェスチャーで返すなど自然だ。

本当に何時間かかっただろう?あいうえおの文字盤を押して、意志を伝える方法でコミュニケーションしている発表者は一行書くのに2~3時間かかるという。この日、打ち込んだ文章をパソコンが読み上げ音声を出す方法で長文の発表をした。パソコンが読み上げる音声に答えて、発表者は笑い声で応えていた。この日参加できなかった発表者はビデオ録りされた映像で発表した。「今日が全員そろった初めての演奏になります」と話すなど失敗を恐れず、進行も夜間中学生が行った。
参加していた髙野さんは「夜間中学の原点を見た」と話していた。そういえば、髙野さんたちがつくった証言映画「夜間中学生」に登場する夜間中学生の姿をこの日の畝傍夜間中学文化祭で見ることができた。