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夜間中学その日その日 (652)

  • 白井 善吾
  • 2019年11月27日
  • 読了時間: 4分

てんりのやかんちゅうがく 文化祭

 23回を迎えた、てんりのやかんちゅうがく文化祭が2019年11月17日開催された。街路樹の落葉や白く広げたすすきの穂が冬のおとずれを告げている。時折、冷たい風が吹き抜けた。駅から夜間中学まで、歩いて10分の道、夜間、街路灯も暗い中、夜間中学生はどんな思いを持ち、この通学路を歩いているんだろうか?にぎやかな通りの方を歩いているのかもしれない。JRの線路の下をくぐり抜け、東の校門を入った。校舎の日陰にもかかわらず、温かい雰囲気が漂っている。何だろう?敷居が高くない。なんでも受け止めてくれるそんな雰囲気だ。

 玄関先まで、「チヂミ、中華がゆ、バナナの春巻き、ポルシチ(ロシア料理)などの模擬店が並んでいる。どれも夜間中学生の母国の家庭料理だ。夜間中学生は店に立ち、「いらっしゃいませ」「熱いですよ」「ありがとうございます」と声をだしている。夜間中学生だけではない。夜間中学を40年以上支えてきた「つくり育てる会」の人たちの店も並んでいる。

 飲食スペースの一角に糸紬の紡錘くるまが2台置いてあるスペースがある。李福順さんが在学時、描いた綿の絵も展示してある。そして綿の木が一株飾られ、今年もたくさん実をつけ、その実がはじけ、しろい綿毛が噴き出ている。どうぞもらってくださいと手渡された袋の中に、綿の実と説明文が入っている。次のように書いてあった。

「李福順さんは植民地下の全羅道の綿農家に生まれました。天理の夜間中学で学び、2010年89歳で旅立たれました。この綿は李さんが天理の家で植え継いできたものです。種を取り出して春5月に種まきをしてください。夏には清楚な花が咲き、秋には太陽のぬくもりをまとった実ができます。

 天理の夜間中学をつくり育てる会」

 教室の廊下には夜間中学生の様々な生業の道具が展示されている。これは「常設展」である。道具を手に取って、夜間中学生が語り合う姿が想像できる。おそらく、このような展示がされている夜間中学は他にはないのではないだろうか。夜間中学の学びの重要な視点だ。この日は、常設展に加え、個人作品、合同作品「刺し子」、夜間中学運動のあゆみ、作文、「夜間中学生の背景」などの掲示物でいっそうにぎやかだ。

 13:20より集会が始まった。発表方法も発表者の緊張を和らげ、いつもの授業の雰囲気が再現されている。すぐに発表に入るんではなく、故郷の街が映し出され、映像を見て発表者に教員がクイズ形式で質問をする。その答えを参加者に求め、発表者が正解を言う。会場の人たちを発表者の話に導入をしていく準備として十分時間を取って組み立てられている。

 故郷の紹介でも、民族衣装を着たネパールの夜間中学生が発表した。映像を織り交ぜ、教師が質問をする。ネパールの文字を発表者が黒板に書く。ネパール語の文字がゆっくりと黒板に表されていく。参加者はかたずをのんでみている。何が書いてあるのかほとんどの人が読むことができない文字が並んでいる。「・・・」。その場にいるどの人も深いため息をついている沈黙のあと、説明を聞いて安堵の雰囲気が漂う。少数者と多数者が立場を逆転する。日本で生活をする難しさを体験できた瞬間だ。

 「天理の夜間中学」の校歌を全員で歌った。歌う前に、多くの学校の歌は有名な作詞家に依頼をし、有名な作曲家によって生まれた校歌が多い。しかし、天理の夜間中学の歌はどのようにして生まれたか?と問われた。私は知らなかった。1995年2月の「学校だより」がスライドで写された。

 「どんな夜間中学になっていってほしいか」という問いに当時の夜間中学生がつづった言葉をつないでできた歌詞だという。

 「つらいこと かなしいこともあるけれど なかまのえがおが やさしくむかえてくれる ・・・ わらいがはじけるてんりのやかんちゅうがく」

 「おたがいのちがいをみとめ まなびあい あるいてきたみち わかりあいゆたかになろう ・・・ みんながつながる わたしのやかんちゅうがく」

 「がっこうのあかりをみると わかがえる わすれることあるけれど こころは18さい ・・・ いまがせいしゅん わたしのやかんちゅうがく」

 「とりもどす もじとことばで じんせいをつづろう おもいをかたろう あしたをみつめ ・・・ みんながしゅやくだ てんりのやかんちゅうがく」

「・・・」の部分に「こんばんは」が母国の言葉で「ナマステ」「晩上好」「アンニョンハセヨ」・・・と入れ込まれ歌う。25年前の4か国から9か国に増えたと説明があった。

天理の夜間中学と交流している大和郡山市立 片桐中学校の子どもたちが文化祭に参加していた。民族衣装に身を包み、色鮮やかな扇子をもって「プチェチュム」を踊った。

 いろいろと考えることができた、てんりのやかんちゅうがく文化祭であった。

 
 
 
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