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夜間中学その日その日 (664)

  • 夜間中学資料情報室 白井善吾
  • 2020年2月5日
  • 読了時間: 3分

 夜間中学 いま の課題   ②

 天王寺夜間中学が開校した年、私も教員になった。それから半世紀になる。のちに夜間中学に勤めることになるとはその時は全く分からなかった。夜間中学との出会いは、教員になって3年目、山梨で開催された第21次日教組教育研究全国集会(1972年1月)に参加した時だ。「人権と民族の教育」の分科会で夜間中学生が厳しく差別教育を告発する場に遭遇したことだ。先生たちの報告はきれい事ばかり、ここに参加している先生たちは不登校の子どもを作り出してるという自覚があるのか?

 「えっ!私の毎日の授業で不登校の子どもを作っている?」 驚きとともに、夜間中学生の重い直球を真正面で受けてしまった。毎日の授業で学校に来れなくなる子どもをつくりだしている?何度も問い返し、反芻した。その問いかけに反発はしたものの、くやしいけど認めざるを得ない自分の実践である。それ以後、教研集会全体会で歌った『緑の山河』を口ずさむと、甲府の雪景色とこの日の出来事がいつも蘇ってくる。

 大阪に帰り、教職員組合の執行委員に、夜間中学開設を担当することになった。しかし、公立夜間中学開設は実現しなかった。実際に夜間中学に勤めたのはそれから15年が経っていた。

 大阪の夜間中学の教育運動は、日教組、大阪教組がとりくんでいる教育運動の大きな柱に位置付いていた。解放教育、在日朝鮮人教育、進路保障、障害児者教育など、夜間中学の教育実践はこれら教育運動と結びついて、教え、教えられ、実践することができた。その実践を根拠に、大阪府教育委員会と交渉を行い教育条件の充実をめざしてきた。もう一つのルート、職員会議から学校長を経由して教育委員会に要求していくチャンネルと連動したことは当然である。

 実践を根拠に、教育予算を増額し、教育環境を充実させる行政交渉は、参加者の学習会の場であり、行政担当者が財政当局を説得する理論的根拠を学び取る行政担当者の場でもあった。毎日の実践を報告書にまとめ、要求書に仕上げていく方法は、先輩から学んだ。1990年代に、夜間中学生も国際識字年推進大阪実行委員会に参加し、大阪市や大阪府との交渉の中で学習者として、学ぶ想いを語り、学習環境の充実を訴えた。そして部落解放大阪府民共闘会議の課題別交渉「夜間中学教育」で夜間中学生徒会連合会から学習者として発表してきている。

 ややもすれば、夜間中学生を義務教育保障を求めている人たちとしか見がちな、行政担当者に夜間中学生がとりくんでいる夜間中学の学校公開で小中高校大学生、社会人、そして教職員と向き合った交流で不登校、戦争体験を語る、実践を通して「夜間中学が今在ることの意義」を語り続けていることは注目すべきでないか。

 昨年10月、連載記事「夜間中学はいま」に掲載した写真を中心に産経新聞が「夜間中学パネル展」を大阪府立中央図書館で開催した。参観した大阪府酒井教育長は「生徒の多くが夜間中学校について厳しい人生の先にたどり着けたかけがえのない場所だと感じている」「共に生きる、共に学ぶ理念を実践した大阪の教育の底力を感じる」とコメントしている(産経新聞 2019.10.30)。

夜間中学生の想いを受け止めた教育行政担当者は、かつて橋下知事が肩を外した、「夜間中学の就学援助制度」創設に努力を傾けるべきではないか。

 夜間中学の学習環境の充実にとりくむ夜間中学生徒会とそれを支援しその道筋をつける運動、とりわけ教職員組合に連帯し、とりくむ夜間中学の教育運動が「夜間中学 いま の課題」だと考える。

 
 
 

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