夜間中学その日その日 (666)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年2月19日
- 読了時間: 3分
夜間中学が今 存在する意義
「公立夜間中学、進まぬ設置 背景に教育現場の多忙も」(日本経済新聞 2020.02.14)とする報道があった。記事は「外国籍の子どもや不登校で義務教育を終えた人の受け皿として期待される、公立夜間中学の設置が進まない。自治体に設置を促す教育機会確保法が完全施行されてから、2月で3年。施行後の新規開校は埼玉県川口市と千葉県松戸市のみだ。総数は東京・大阪圏を中心に9都府県33校にとどまる。背景には、現場の多忙があるようだ」とつづく。義務教育の完全保障することと「現場の多忙」が天秤にかけられ、先送りになっているのだ。さらに、文科省のコメントは「各教委の忙しさは認識しているが、困難を抱えた人が多様性のある夜間中学で学ぶことが、社会性を育む上で大切」(田中義恭・教育制度改革室長)と多忙なのは教育委員会だとしている。
また「いじめ対応、行政職、第三者も 川口市機構改革」(朝日新聞2020.02.18)では「(川口市)は、指導課は教職員が多く教育現場に近いため解決に向けて行き詰まり感があることや、いじめ問題以外にも昨年4月に開校した公立夜間中学の市立芝西中学校陽春分校などの対応も担い多忙を極めている」と教育委員会の多忙の記述があった。
学校現場はさらに多忙を極めている。筆者自身、いまの学校現場の実態に疎くなっているが、教員(昼間)の帰宅時間を見ても20時より早く帰宅できるのは、ほとんどない実態ではないか。
紹介した記事を見て考えるのだが、夜間中学現場は、学齢の子どもを想定してつくられた教科書を用いて一斉授業の展開はほとんど不可能に近い。そこは教員の創意工夫に基づく、自主編成となる。個人ではなく、教職員集団の論議を重ねた学習内容が求められる。現場が持っている「力」に委ねるのではなく、全てを「管理」しなければとする文科省、教育委員会の姿勢がそもそも間違いではないだろうか。「角を矯めて牛を殺す」ことにならないか非常に心配だ。
授業が終わって、消沈して職員室に戻ったとき、その理由を聞いてくれた先輩がいた。そこにいた何人かの教員がストーブを囲んで、各自の経験を語り、解決のヒントを探る教員研修の場になった。そのあと、家庭訪問をして両親と話し合った。その経験は、忘れることがない。そんな職場の雰囲気が大切だと考える。
文科省、教育委員会が夜間中学を学齢の子どもたちと同じ物差しで思考しているとしたら大きな間違いではないだろうか。夜間中学は、にんげんにとって学ぶこととは?を教育にかかわるものに本源的に問うている、貴重な場ではないだろうか。

先発の夜間中学現場は優れた実践をもっと発信していくことが重要だと考える。私は夜間中学の存在意義として次の6点をあげている。
夜間中学は義務教育保障の場であり、義務教育を受ける権利を“補償”する場である。
夜間中学は教育面での戦後補償を行わせる“砦”である。
夜間中学は教育関係者が学ぶ場である。
夜間中学は昼の子どもたちが学ぶ場である。
夜間中学は夜間中学生の家族にも大きな支えになっている。
夜間中学は国際化最前線としての多文化共生の実践検証の場である。
守口夜間中学編集委員会編『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』 解放出版社
270~279頁
なかなか焦点を当てることができず、学校から教育から排除してしまった人たちから、教育現場がもう一度向き合える場所として存在するのが夜間中学だという事ができる。こんな場所があってもいいでしょ。