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夜間中学その日その日 (671)

  • 生きる 闘う 学ぶ編集委員会
  • 2020年3月9日
  • 読了時間: 3分

 2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』が書店に並んだ。それから1年になる。この間、雑誌、新聞、学会誌に書評として掲載していただいた。また、お読みいただいた方から感想をお寄せいただいた。いくつかを紹介する。私たちも、遅くなったが、1年が経過する今、合評会を行いたいと考えている。(その3)

 『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』のご感想をお送りせねばと思いながら、慌ただしく日々を過ごす中で遅れておりました。ようやく少し時間ができましたので、簡単ではございますが、感想を書かせていただきます。

 まず、夜間中学の歴史上大きな転換期に入っている中で、この書物が出版された意義は非常に大きいと感じました。松崎運之助さんが1970年代の大きな転換期の中で夜間中学の歴史をまとめられましたが、その後の歴史を掴むうえで大変価値があり、また夜間中学の歴史は夜間中学の教師が書き残すという文化の継承という側面もあるように思われました。

 どの章からも多くを学ばされましたが、特に『かえるつうしん』を出していた八木秀夫さんらのグループの動きについては、西野分校に髙野さんが送られたビラ類や、高橋栄一さんの就学運動を調べる中で出てきて気にかかっていたので、本書を拝読してその背景を理解することができました。

 関西の夜間中学運動については、私自身神戸以外の動向を学ぶ機会が少なかったため、これを機にさらに学んでいければと思っております。とりわけ、「夜間中学を育てる会」は、教員以外の方が組織する「育てる/つくる」運動の嚆矢であり、その歩みについての検証は重要と感じています。

 また、「はじめに」でも触れられている、公立夜間中学は公教育制度の内包する諸矛盾を抱え、せめぎあいを含みながら実践を重ねてきたことに関するご指摘は、大切なことと感じております。また、以上のような問題意識について、「学校型教育制度」や「官製の夜間中学」へのご批判として展開されていることが理解できました。

 私として、文科省の会議にも参加する機会を得る中で、現状では文科省は何か「型」を押しつけようという意図はあまり感じられず、むしろ教育委員会と学校の関係などのローカルな場の方が、近年では多くの争点を含んでいるようにも感じています。

 私も研究者の立場から、具体的な学級経営や教育実践、教育運動の次元のそれぞれでどのような模索や葛藤、せめぎあいがあったのか、歴史的に見てせめぎあいのあり方はどう変化し、現在がどのような状況にあるのか、今後の課題として研究を深めていきたいと思っています。

 現在の状況を考えるという意味では、最もアクチュアルに感じたのは、夜間中学教員座談会「五〇年をどう総括し、明日を展望するか」でした。自主夜中のもつ緊張感を公立夜中も持ち続けられるか、除籍者をどう考えるか「学校」が持つ力とは何か、生徒が異議申し立てや権利闘争を行うことの意義、「同化」ではない日本語教育のあり方はどうか、教育機会確保法いかに評価しどのようにうまく使っていくか、確保法がフリースクールや不登校の取り組みをしてきた人を分断させた側面をどう見るか、高校受験を目指す生徒が増える中で受験指導ではなく「進路保障」をどう進めるか、学齢の子どもの受け入れをどう考えるか、夜間中学をいかにオープンな場にしていくか・・・

 以上のような大切な論点が、緊張感をもって語られていて、私はこうした夜間中学の現場のもつ真摯な議論に魅力を感じてきたことを、改めて感じました。

全夜中研大会では、なかなかここまで突っ込んだ議論をうかがう機会が少ないため、こうした議論が行われる土壌があるということに、希望を感じました。(和歌山県)

 
 
 
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