夜間中学その日その日 (681)
- 白井善吾
- 2020年4月13日
- 読了時間: 4分
夜間中学のあゆみに見る「夜間中学の生命線」(3)
夜間中学の教員として、目から鱗というか、得心ができ、次の行動指針となった出来事は何ですか?こんな質問をあるジャーナリストの方から受けたことがある。思いつくまま書いてみよう。(その3)
・「『学ぶ』と『習う』を合わせて『学習』です。そんな夜間中学の『学び』でした」(寝屋川高校生)守口夜間中学では学校公開、授業公開を重要なとりくみの一つだと考えている。多くの小中高大学生、教員、社会人の来校だけでなく、夜間中学生も小中高大学へでかけていく。夜間中学の授業を体験していただき、そのあと夜間中学生は来校者と対話集会を開く。夜間中学生のみならず教員にとっても、夜間中学の存在意義を確認できる機会だ。
対話集会で一人の高校生が夜間中学生に上のように語った。自分たちがそれまでやってきたのは、受け身の「習う」であった。夜間中学生の姿勢は「学ぶ」だ。その違いがはっきり分かった。明日から積極的な学び取るという姿勢に改めたい。このように語った。それを聞いた夜間中学生は次のように返した。「私たちが夜間中学でやっていることはすごいことなんですね」と。別の夜間中学生は「あなた方は明日のこの国を動かしていく人です。そのとき夜間中学で在日朝鮮人の横に座って、一緒に学んだ今日のことを覚えておいてください」と語った。
これらを受けて、私の授業実践のスタイルが次のように定まった。夜間中学生のそれまでの経験、体験を授業に積極的に取り入れた組み立てを行うという方法だ。「今日はAさんが先生」「次の時間はBさんです」教員は突っ込みを入れ、引き出し、意義の定着を図る、そんな役割に徹する。「教育」から「学習」に。意識的に行うようにしていった。
100%そんな授業展開を行ったわけではないが、時間をかけ、準備をして臨んだ授業に夜間中学生の反応が良くないことが多かった。そんなとき、夜間中学生の力を積極的に借りることにした。一見無責任に映るかもしれない。しかし、出てきた学びの中味は「知の内容自体に面白さを感じる。日常生活から疎遠な知に有用性を期待する期待感」を生み出すものであった。(これについては別に述べる)。
夜間中学生との共同作業で展開される学びは「序列化や競争原理を前提とする学力観を超えた学び」ではないだろうか。経験、体験に基づく「知」にたどり着いたとき、夜間中学生は自分の経験、体験を語り出し、次の時間はその実習と展開されていった。その時、教員も夜間中学生のひとりになる。
私は、昼の学校の教員としてスタートした。できる限り、教科書にとらわれない自主編成の授業の創造に、学校を超えて、教員同志でとりくんだことがある。18年目、夜間中学に転勤した。
上に述べた学習展開の方法は夜間中学生の眼も輝いただけでなく、私の眼も輝いた。幸いもう一度昼の学校にいくことができた。そこで夜間中学で習い覚えた方法を取り入れ、実践した。「勉強する意味がわかった」「変わった先生や」と「白井の通知表」に書いた。こどもたちは受け入れてくれた。「夜間中学の常識を学校文化の常識に」。学びが豊になっていくのではないか。
就学援助補食給食の大阪府補助の継続を求めて夜間中学生は立ち上がった。2008年就任してすぐ、橋下知事(当時)は「(夜間中学は)義務教育だというのなら、学齢の子どもたちと同じように、国と設置行政が負担すべきで、府は行わない」と主張、廃止を強行した。近畿夜間中学校生徒会連合会は廃止撤回の闘いに立ち上がった。府庁周辺で撒くビラをどのように書くか、どんな主張をすれば市民に受け止めてもらえるか、淀屋橋で道行く人にどんな主張をすればよいか?夜間中学生は下書きしてきた原稿を読み上げ、みんなの意見を聞いた。そして何枚ものビラが出来上がっていった。「学びは運動につながり 運動が学びを育てる」。夜間中学生の想いをどのように書くか、何が不足しているか、表現方法、用いる語彙についてもみんなで考えた。これこそ生きた学びとなっていった。

これらは「奪い返す文字やコトバは、明日からの生活をかちとる知恵や武器になるものでなければならない。地域を変え、社会を変えていく力となる学び」という事ができる。
この考えに基づいて授業の組み立てを考え授業を始めても、時として夜間中学生からひっくり返されることもある。自衛隊をイラクに派遣すると国会で議論が始まったとき、「私たち夜間中学生は黙っていていいのか」という声が夜間中学生から上がった。その時のことは夜間中学生の眼光とともに決して忘れることはない。
夜間中学生の口からこんな言葉が発せられる場に身を置けたとき、夜間中学生が教師になっている。「夜間中学は教師の道場である」と云う所以は真実だ。