夜間中学その日その日 (684)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年5月7日
- 読了時間: 4分
産経新聞連載「夜間中学はいま」を読んで (その3)
1.夜間中学生
③ 自身の変化
・嫌いだった学校が好きになり、つまらなかった勉強が楽しくなり、自分に自信がなくて一歩引いていた大永さんが熱心に人と関わるようになった。(連載①)
・手元の原稿には「学ぶことは生きること」と書いていたが、無意識のうちに「生き延びる」と口にしていた(連載③)
・「夜間中学校で学んだのは、ただの数字や文字の読み書きだけではありません。空っぽだった心の中の何かが満たされてゆくように、私は成長しました」(連載③)
・生き生きとした表情のクラスメートから「間違うことは恥ずかしいことでなく、大事なことだ」と学んだ。(連載④)
・「学び」とは何か。人としてのあり方や生き方も夜間中学で学んだ。(連載④)
・夜間中学に通うようになり、将来に少し光が差した。だが、将来への不安が消えたわけではない。ただ、その意味合いは異なる。「以前は自分には何もなくて、どうしたらいいのか分からない不安。今は夜間中学を卒業した後、高校へ進学するのか就職するのか、選択の迷いです」(連載④)
・「新聞も主人の弁当箱を包むものでしたが、世界中で起きていることを伝えてくれるものになりました」(連載⑤)
・小さいときから「人は怖いもの」と思って生きてきた。「死ねないから生きているだけ」だった。つらいことがあっても歯を食いしばって生きてきたせいか、楽しさも感じなかった。学校に通うようになると、物事に感動して涙が出るようになった。心を開き、本音で、自分の言葉で語れるようになった。(連載⑤)
・倉持さんは、人との関わりを苦手にしているように見えたが、自主夜間中学での学びを通じ、「人を信じられるようになってきた」(連載⑥)
・シリザナさんは教育を受けたことで見える世界が変わった。「将来を自分の力で考え、いいこと悪いことを自分で判断できるようになった。前に進めました。もっともっと勉強したいです」(連載⑦)
・「学校に来て友達がいっぱいできました。性格が明るくなって、自信もつきました」(連載⑨)
・夜間中学生活を「同級生と触れ合うことで少しずつ自分を出せるようになりました」と語る(連載⑩)
・「自信が持て、学校でも仕事でも自分の意見を言えるようになった」と胸を張る。(連載⑬)
・「ここに来られて本当によかった。いろんなことに挑戦したい」(連載⑮)
・自校の生徒会会長や近畿の生徒会連合会の役員を務めたことで、先輩たちがいかにして夜間中学をつくり、守ってきたかを知った。(卒業編⑤)
・ここでの学びを通して、私は変わりました。知識が増え、自分のものさしで考えるようになり、自信がつきました。夢を持つこともできました」(卒業編①)
・「先生の言葉や授業で学ぶ言葉が自然に入ってきました。『他人事』だったのが『自分事』として感じられるようになりました。学ぶことが楽しかった」(卒業編①)
・「投げた玉が描く放物線がすごくきれいでした。観客として弟の運動会に参加したことはあったけど、見える景色、世界が全然違った。あきらめていたことができてうれしかったです」(卒業編①)
・「学校ではいつもニコニコしている人たちが本当につらい思いをしてきたんだと知りました。今は家族がいて学校にも通えて幸せだと語る人たちの姿に、過去はもういい、これからを大事にしたいと思うようになりました」(卒業編①)
・やがて自分の過去についても少しずつ話せるようになった。「眠子さんはやさしいねえ」などと、さまざまな場面で肯定してくれた。それまでの人生は「お前はダメな奴だ」と全否定され続け、自己評価も著しく低かっただけに、「すごく新鮮でうれしかった」(卒業編①)

◇
夜間中学に巡り合い、夜間中学が持っている場に身を置いて,入学前といまを比較し、自分の変化を客観視して、次に出てきた夜間中学生のコトバだという事ができる。自らの変化を語るこれらコトバは説得力がある。本来学ぶという事はこうでなくてはいけないのだ。
この変化が生まれる「夜間中学という場」について、『生きる 闘う 学ぶ』完成報告会でジャーナリストの川瀬俊治さんは次のように語っている。「夜間中学生に向き合うということは自分を切開せなあかんのです。夜間中学生というのは自分を切開して夜間中学に来てるわけですよ。だから、夜間中学に来るまでに迷うわけですよね。自分が夜間中学行くために近所に分かったらかなんなあと思いながら、ここへ飛び込んできたということは、自分をもうありのままにさらけ出しているわけですよ」と。
「自分を切開」する作業を通して夜間中学生のみならず、教員である私自身も切開し変わっていく。この体験が、教育の場ではとても大切なことではないだろうか。