夜間中学その日その日 (696)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年7月15日
- 読了時間: 4分
夜間中学の学び ②
夜間中学のあゆみの中で、これは「夜間中学の生命線」だと考える、出来事や夜間中学生が発したコトバを取り上げてきている。その中には、私自身に突きつけられた決断を迫るものもある。逃げ出したくなることも多かったし、逃げ出したことの方が多かったかもしれない。それまでの経験を参考に、いろんな方法でやったのだが、失敗することが多かった。そんな弱気な私は、子どもたち、夜間中学生や保護者、教師集団に何度も助けていただいた。
昼の大規模校に勤めたときのこと、一つの学年を複数の教員が一つの教科を担当することが多い。私の場合クラス担任にはならず、二つの学年にまたがって理科を担当することが多かった。年度途中で担任が病欠になり、クラス担任をしたこともある。定期テストや統一テストがあると、私の担当したクラスは平均点がいつも低い。実験も多く取り入れ、理科教室での授業も多かった。テストに出る問題を解くような時間も実験や実習の時間に使うことが多かった。授業に行っているが、所属の学年ではないので、参加しない学年会議で私の受け持ちのクラスの理科の平均点が低いことが話題になったそうだ。その時クラス担任が「理科の授業は楽しいといっている子が多い」と言われたという。
夜間中学でも、実験の準備物の石灰水を忘れたときも、夜間中学生は代用品を考えてくれた。生活経験が豊富なのだ。机の中からお菓子の乾燥剤を取り出し「これは使えませんか?」と。夜間中学生は知恵の塊だ。このときの経験は、多くの人にとっては当たり前かもしれないが、その場にはなかっても、何か他の代用品で工夫できないかと考えてみるという対処方法だ。さすが夜間中学生。この出来事は、別の方法はないか?と考える習慣のきっかけとなった。前にも書いたが、このとき使った乾燥剤の生石灰を使った学習の発展は、面白かった。夜間中学生の生きた経験が花開いた展開となった。
あるとき、「重曹」を実験に使うと「次は先生、カルメ焼きしましょう」と提案があった。もちろん、使い込んだ銅製のオタマ、ザラメ砂糖、重曹、割り箸が教室の机に準備されていた。「子どものおやつによくつくってやりました」。もちろんその日はこの夜間中学生に理科の先生を交代した。
夜間中学の学びの組み立てにあたって私が重要視したのは次の3点。
・面白くて、夜間中学生も、自分も元気になれる。
・「学びは運動につながり、運動は学びを育てる」学び。
・夜間中学の学び「奪い返す文字や言葉は明日からの生活の知恵や武器となるもので、地域を変え、社会を変えていく力となる学び」かどうか
そんなとき、マララさんの言ったコトバが、私の立ち位置を再確認させた。
・One child, one teacher, one pen and one book can change the world. Education is the only solution. Education First.(マララ・ユスフザイ)
「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。教育を第一に」
恥ずかしくていえないのだが、「世界を変える夜間中学の学び」ということが出来る。
面白さを感じた時、教員のみならず、夜間中学生から次々とアイディアが生まれてくることだ。その例として別のときに紹介したが、「十干十二支」の授業の展開だ。「子は北、丑は南、卯は東」すると「とりは西」。
夜間中学生から「だから西の漢字の中に一本線を入れたらええ」「酒の漢字のさんずいを取った漢字」、すぐに反応が返ってくる。「しごせん」の意味。「艮・巽・坤・乾」、「甲子園」「壬辰・丁酉の倭乱」と夜間中学生からボールが投げ返されてくる。「この艮の表札の家在りました。品物を配達したとき、なんとお読みするのかわからず困った漢字です。『うしとら』さん、覚えました。ぜったいわすれません」と。
こんな展開が「知の内容自体に面白さを感じる。日常生活から疎遠な知に有用性を期待する期待感」だと考える。夜間中学生とのやり取りはまさしくこの展開であった。

「夜間中学」を一言でピタッと言い当てる文章やコトバは何か?守口夜間中学は廊下から階段、空いた壁面がないほど、夜間中学生の共同作品を展示し、教員、夜間中学生それぞれの立場でその作品にある文字とコトバに向きあってきた。しかし、「教育は空気だ」「武器になる文字とコトバを」を超えるものは生まれていない。夜間中学生もそのように云う。川瀬俊治さんも「非識字者が何をめざすかを表した時代を射抜く普遍性を持つ」歴史メッセージだといっている(『生きる闘う学ぶ』解放出版社 458頁)。守口夜間中学生は髙野先輩のコトバ「武器になる文字とコトバを」横断幕にして、夜間中学を表現している(2001年)。自分たちの気持ちにぴったしくる主張だといっていた。これを乗り越える言葉はいまだ生まれていない。