夜間中学その日その日 (706)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年9月4日
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「夜間中学」に関する国会議論(その13-⑤)1976年~1979年)
学校教育でなく、社会教育でと、だれが言い始めたのか、議事録では天城勲初中局長「行く行くはは成人講座で」(1968.04.12)、宮地茂初中局長の「学校教育でない社会教育的な観点からやっていくのがいいのかもしれません」(1971.5.11)になるのではないか。引き続いて宮地氏は「学齢を過ぎた人のために夜間課程を置くといったようなことであればこれは検討課題にはなろうかと思います」と答弁している。当時の文部官僚は、学齢者はダメ、学齢超過者は学校教育ではない社会教育ならばと判断していたのではと考える。これに対する夜間中学関係者の主張は「学校教育で保障されなかった学習権は、学校教育として保障するべきだ」であった。
この期の国会議論は引き揚げ者、帰国者が学ぶ場所を求めて、夜間中学に入学してきた状況にたいし、国は「夜間中学に限らずにやはり社会教育その他の面で」と主張し、増設運動が起っている地域の地方教育行政にこの考えを伝え、牽制していたことは運動体が行政交渉をとり組んだとき回答を見れば明らかだ。国は2020年の現在、、「夜間中学は社会教育で」と強力に主張し論陣を張ったことはお忘れになったのか?一言もお触れにならない。1979年に文部省に入省した前川喜平さんはこの点どのように説明なさるのだろう?
5回まで見てきたが、「見て見ぬふり」で総括できない変化があったことがわかる。その変化を生み出す契機は雑草のような、不屈の運動ではないだろうか。
39回夜間中学増設運動全国交流集会で議論を行なったように、地方教育行政は、学校教育に比べ、圧倒的に安価な「社会教育で」の動きが顕在化している。

第78回国会 衆議院 社会労働委員会 第2号 1976年10月14日
*金子みつ(社会):「文部省では、帰国者の日本語教育、これは伊藤司さんに限らないで一般の帰国者ですね、外地から帰ってきた人あるいは向こうで育った人、そういう人たちの日本語教育というのを、国としてどのように行っているのでございましょうか」
*奥田真丈(文部省初等中等教育局審議官):「夜間中学等におきましては、極力日本語の習得のために先生方が一生懸命指導する、こういう体制で臨んでおるわけでございます」
第78回国会 参議院 外務委員会 第5号 1976年10月26日
*塩出啓典(公明):「最近中国とかあるいは韓国あるいは中南米等からの日本への引き揚げ者が夜間中学なんかに日本語学級をつくってやっておる。外国から帰ってきた人たちにやはり日本語の教育、ある程度、社会で生活していくのに必要な程度の教育まではもうちょっと国が責任を持ってやっていけるような体制が欲しいんじゃないか」
*小坂善太郎(外務大臣):「ただいまの御指摘の線に沿うてひとつ極力努力してまいりたい」
第80回国会 衆議院 予算委員会 第19号 1977年3月4日
*田川誠一(新自由クラブ):「文部省がそうした日本語の教育について一体どういう配慮をしているか」
*海部俊樹(文部大臣):「夜間中学校に在籍をするという形で、そこで日本語教育を、日本語の理解を主とした教育を行っておるところでございますが、その教える先生とか教える教材についても、そういった特別ないろいろな事情を考慮しまして、できるだけ理解を深めていくように、とにかく誠心誠意その方向で取り組んで教育を進めておる」
第80回国会 衆議院 内閣委員会 第11号 1977年4月14日
*上田卓三(社会):「夜間中学に入ってそこを卒業してもらわなければならない対象者の数字が大体60万くらいあるのではないか」
*諸沢正道(初等中等教育局長):「制度的に言いますと、15歳まではこの義務教育を受ける権利があり、また国はそれを用意する義務があるわけでございますが、15歳を過ぎました方につきましては義務教育を終了していなくても、本人もその法律上の義務はない」「夜間中学に相当する教育というものは、あるいは義務教育を終わらなかった方の教育というものは、夜間中学に限らずにやはり社会教育その他の面でいろいろ配慮し
ていくべきことでありまして、夜間中学だけがこれに当たるんだということではない方が、むしろいろいろな機会を設けて行う方が適当ではなかろうか」
*海部俊樹(文部大臣):「夜間中学のことに関しましては、私も今後十分に検討して取り組んでまいりたいと思いますし、いろいろあります問題の性質を一つ一つ研究をしてみたいと思います。なお、義務教育を完全なものにせよという後半の御指摘でございますが、これはまさにそういうことが、国が義務教育について負うべき責務でもございます。落ちこぼれ落ちこぼしの問題等についても、いま別途の政策努力を傾けておるとこ
ろでありますけれども、その御趣旨は十分承って努力する」
第84回国会 衆議院 法務委員会 第18号 1978年4月19日
*稲葉誠一(社会):「16歳のときというと昭和40年、日本にいる父の姉、おばを頼って不法入国してきて、昭和49年11月20日に東京入管に自首をしたのですね。自首して即日仮放免の許可を受けて、昭和50年の4月8日から大田区立糀谷中学夜間部に入学して勉強しておるのですね。1976年、51年の3月23日に退令発付処分取り消しの本訴と執行停止の申し立てを行って、東京地裁の民事三部——民事二部と三部が行政ですから、そこで送還停止の決定があって、本訴は係属中、こういう事実関係です。そこで、新しい事実として、1976年12月20日に糀谷中学の先生である都築達郎という人、私のところにもおいでになった非常にまじめな方ですが、この方が金有植とい青年を見込んで養子縁組みが成立をしておる、こういう事実関係になっておると思うのですが、私がいま申し上げたことは間違いございませんか」
*瀬戸山三男(法務大臣):「事実関係はそのとおりだということを、いま入管局長が答えましたが、その事情を聞きますと、私はそういう温情ある取り扱いをしていいのじゃないかと思いますが、しかし、入管の事務はなかなか法令の問題がありますから、一応局長から考え方を」
*吉田長雄(法務省入国管理局長):「本件のような場合は、非常に同情される問題でございますが、われわれの非常に苦心いたしますのは、ほかのケースとのつり合いというようなこともまた考慮に入れないと、非常にバランスを失してくるという問題点もござい
ます」
第87回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 1979年4月24日
*柄谷道一(民社):「(帰国者)義務教育を受けていないけれども年齢が相当高い。働かなければならないわけですね。そういう人に対しては、やはり夜間中学というものを配慮していく、そういう開設も必要であろう」
*垂木祐三(初等中等教育局中学校教育課長):「現実の問題といたしまして、外地から引き揚げてまいりまして日本語の十分理解できていないような者の受け入れをいたしておるわけでございますが、基本的な中学校教育のあり方といたしまして、夜間中学でそのような者たちを受け入れて十分教育ができるかどうか、いろいろむずかしい問題がありまして、現にあります夜間中学校ではかなり教育的な効果を上げておるわけでござい
ますが、今後その取り扱いにつきましては十分検討してまいりたい」
第87回国会 参議院 外務委員会 第11号 1979年5月22日
*粕谷照美(社会):「義務教育を受けなかった人たちというのはたくさんありますね、その数字、どのくらいいらっしゃるかつかんでおられますか
*諸澤正道(初等中等教育局長):「ちょっとつかんでおりません。おりませんし、 ざいまして、本当にごく限られた方々について見れば、言ってみれば各地の社会教育的な場でそういうことを満たしていただくということになろうかと思うんでありまして、系統的制度的にこれを奨励するというのは、日本の場合は、ちょっと考えられないんじゃなかろうかというふうに思う」
第87回国会 衆議院 内閣委員会 第13号 1979年5月24日
*上田卓三(社会):「(国鉄の駅名の表示について)全国に夜間中学があり、あるいは識字学校があったりして本当にみんな苦労しておるではないか、こういう点を申し上げたわけでございますが、NHKが調査したところによると約200万人おるという数字を示しておるわけです。NHKが調査されて200万だと言うのだから、私はほぼそれは正確ではないか、こういうように思っておるわけです」 (つづく)