top of page
検索

夜間中学その日その日 (709)

  • 夜間中学資料情報室 白井善吾
  • 2020年9月18日
  • 読了時間: 5分

「夜間中学」に関する国会議論(その13-⑦)(1985年~1989年)

 1987年4月、私は守口市の昼の中学校教員から、夜間中学に勤務することになった。教員になって19年が経過していた。昼の学校を経験し、夜間中学へ、そして昼の学校、もう一度夜間中学へと経験することが出来たことはよかったと思っている。ある方から、「夜間中学に勤務して昼に戻った時、時代遅れとなり、取り残されるのではないかという心配が先立ち、若い人の夜間中学転勤が少ないのだ」とうかがったことがある。

 私の場合、そんなことはなかった。もう一度昼の勤務となったとき、他の先生とは違った見方が出来る教員になっていることに気がついた。夜間中学生が、いつの間にか、そんな教員に改造していたということではないか。一つあげるとすると、子どもがそんな行動をとる背景は何かということを考えながら、子どもに向き合う。何か訳があるはずだ。子どもの次のことばを待った。不登校の子どもの家を尋ねたとき、「家に来て、僕の話を聞いてくれた初めての先生だ」とその子はいった。

 この時期の国会議論では「中国引揚げ帰国者」「登校拒否」の人たちが学ぶ夜間中学が取り上げられている。守口夜間中学ではこの人たちが多数学んでいた。自らも大連の満鉄の学校で学ぶ学生の経歴がある教員が勤務されていた。「私も残留孤児と同じ人生を歩んだかもしれない。この人たちのことは他人事ではない」と生活相談、職場訪問、子どもの通っている学校への教育相談と動かれていた。この先生のことを引揚げ帰国のひとたちは「日本のおとうさん」と呼んでいた。

 国会議事録でも「不登校」ではなく、「登校拒否」を使用しているが、守口夜間中学では「登校拒否」の子どもが多かった。「ほったらかしといて、卒業の時期に何日か学校に来たら卒業証書を渡す、こんな学校の卒業証書ほしくないといったんだ」と話す子どもが何人もいた。事情を聞くため、昼の学校を訪問しても、子どもの状況を把握されていたとはいいがたい対応であった。夜間中学では、高齢の夜間中学生と関係が築けたこの子どもたちは、生きていく力を獲得することができた。

第102回国会 参議院 本会議 第4号 1985年1月25日

 *金丸三郎(自民)美濃部亮吉氏の追悼演説:「何らかの理由から義務教育を受けることのできなかった不幸な人々のための夜間中学校にも強い関心を持たれ」

第104回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号 1986年3月6日

 *福岡康夫(公明):「(中国からの引揚げ帰国者)279名のうち243名の多くを県内で占めておるわけでございますが、この方たちが現在夜間中学校で日本語教育を受けておられるのが広島市だけでございます。福山市、それから東広島市にはこの日本語学校がご

ざいません」

 *海部俊樹(文部大臣):「また地域では夜間中学校のみならず、いろいろ県、市等の主催する日本語の研修会もある。努力をさせていただきたいと思います」「この中国引揚者の皆さんのための日本語教育というのは、例えば大人になられてから帰ってきた方のた

めには夜間中学校で特設授業、特設教室なんかも設けてあります」

 *渋沢利久(社会):「文部省としては、日本語を正しく早く知ってもらうための環境づくり、環境整備ということのためにどういう対応をしておいでになるかということをまずお尋ねしたいと思います」

 *阿部充夫(文部省教育助成局長):「広島の観音中学校のように夜間中学と申しますか、夜間学級ということで設けた中にかなり年輩の人も含めて夜間中学の生徒として入っ

てきているというようなケース等もございます」

第104回国会 参議院 文教委員会 第2号 1986年3月20日

 *本岡昭次(社会):「中学校の段階で登校拒否というのか、学校へ行くのが嫌になってしまって、そして日数が足らないからというふうなことで卒業証書も出せないというふうな形で、何かわけのわからぬような形のまま、やみからやみという表現は適切でないか

もしれませんが、何かこのまま切れてしまう。そして今度は夜間中学というところにお世話にならなきゃならぬというふうなこともあり、今の教育の具体的な現場の中では、現在の制度の中では解決できない問題もかなり出てきている」

第108回国会 参議院 内閣委員会 第3号 1987年5月21日

 *吉川春子(共産):「夜間中学なども、本来の目的は義務教育機関ですが、そういうところでも日本語の教育が行われているわけですけれども、例えば日本語の教師を雇って

そういう話学教育をやる場合に、ぜひ国でその人件費に対する補助、二分の一が、率は

具体的には言いませんが、とにかくそういう国の補助態勢ですね。こういうものをぜひ

実現してほしい」

第109回国会 参議院 本会議 第11号 1987年9月7日

 *内藤功(共産):「変形労働時間制導入によって、昼間働き、夜、定時制高校、大学二部、夜間中学等に学ぶ人たちの学習の権利が侵されます。このようなことは断じて許されないと思いますが、どうですか。文部大臣としてこのような改正には断固反対すべきではありませんか」

第109回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 1987年9月10日

 *内藤功(共産):「(夜間中学で学んでいる)方々についてもどういうふうに変形労働時間

制によって学べなくなる人を救っていくのかという問題が何も示されていないと思う

んです」

第112回国会 参議院 文教委員会 第2号 1988年3月22日

 *高木健太郎(公明):「NHKの「おはようジャーナル」というふうに思いましたが、埼玉の川口市で自主夜間中学というものが開かれておりまして、(中略)その登校拒否の子供を救い上げて、それで一般の社会人として成り立っていくようにするのには、単に専門医に聞くことも大事ですけれども、おのおのに何かやはり原因なりそういうものが

ございまして、やはり個人的な教育あるいは相談、手間は要るけれどもこれをやらないと救い上げることができないように思った」

 *西崎清久(初等中等教育局長):「やはり学校教育として責任体制で登校拒否児に対応できるように今各都道府県教育委員会と盛んに私ども課長会議を含めてやっておる次第」

第116回国会 衆議院 文教委員会 第2号 1989年11月17日

 *石井郁子(共産):「登校拒否の子供たちが夜間中学校に入ってそこで勉強をしているというケースが多くなってきています」

第116回国会 参議院 文教委員会 第1号 1989年12月5日

 *高崎裕子(共産):「東京都内にある8校の夜間中学ですが、過去六年間の調査で登校拒否児の小中学校での勉強のつまずきがその不登校の要因となっている、このこともまた示されているわけです」

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page