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夜間中学その日その日 (718)

  • 夜間中学資料情報室 白井善吾
  • 2020年11月9日
  • 読了時間: 3分

形式中学校卒業者の夜間中学入学について(再論)その3

 全国夜間中学校研究大会18回大会(1971年)で形式卒業者の夜間中学入学について「昨年の段階では形式卒業者は(夜間中学に)受け入れられないと公式的な発言をしていましたが、(今年は)学習したい人には学習の機会を与えるべきではないか」との回答を受け入学が可能となった。

 その1年前、17回大会では中島課長補佐は「(入学の)認定は学校長に任されている。一応前の学校長が認定して卒業させたものをもう一度中学に入れるのは原則としてできない。しかし夜間中学はそうした人の学力をつけてやる場だから門戸を開いてよいと思う」と話した。出席した大阪の教員は「とても良い土産話ができた」と評価したのに対し、夜間中学生の受け止めは、一点の留保もない、完全な回答を求め、公開直談判を18回大会で実行した。『자립(チャリップ)』に記載された髙野さんたちがテープ起こしをした記録は次のように展開されている。

(教員)「生徒のようにパッと言いにくいのでね」

(夜間中学生)「なんで言いにくいんですか?首になるんですか?」

(夜間中学生)「(先生は)どちら側につくか?どちら側の人間か?」

(教員)「(教員は)生徒側につく」

(教員)「夜間中学は義務教育未修了者を対象にしていたと考えていた。ところが、学力がなくて形式卒業者を夜間中学の中に包含するかどうか、夜間中学が決定的に転換を迫られている。形式卒業者までも夜間中学に入れていく国の方針があるのかどうか?」

(中島課長補佐)「昨年の段階では形式卒業者は(夜間中学に)受け入れられないと公式的な発言をしていましたが、(今年は)学習したい人には学習の機会を与えるべきではないか」

(包丁大阪府教育委員会係長)「学習の機会を作るわけですから、(夜間中学を)作らなければならない」

(中島課長補佐)「各都道府県にも(夜間中学と形式卒業者の)話をし、私どもも積極的にこれを国の予算等で持つべきとこは 持つよう努力いたします」

 あいまいさを残し、後に、いろんな解釈を生み出す原因にもなる私たちの詰めと比べ、一分の妥協も認めない、完璧な迫り方である。

 この確認を受け、形式卒業者の夜間中学入学が一部の例外(*)があるが、全国の夜間中学で1972年から入学が出来るようになった。全夜中研の記録誌を見ていくと、形式卒業者の入学を求めることが大会の要望書に再度、文章化されるのは1987年の第33回大会の要望書で「中学校形式卒業者も義務教育未修了者と同じ扱いとし入学を保障すること」と記載している。私が夜間中学に勤務した年でもある。1972年から1986年まで15年間はこの要望がなかった、つまり形式卒業者の夜間中学入学が行なわれていたということでもある。

 現場も行政担当者も時移り、人かわりで、18回大会の確認に基づいて、入学を認めるべきだというチェックが出来ていない問題が根底にある。

 2015年7月30日付け「義務教育修了者が中学校夜間学級への再入学を希望した 場合の対応に関する考え方について(通知)」は44年後に出された文書ということになる。

(*)丸山中学西野分校の高橋敏夫さんは入学が認められず、「おいだされ組文集-ひとりだけの卒業文集-」を発行し、抗議している。(『生きる闘う学ぶ』解放出版社46~63頁)

 
 
 
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