夜間中学その日その日 (719)
- 夜間中学資料情報室 白井善吾
- 2020年11月16日
- 読了時間: 3分
昼の学校の常識は夜間中学では非常識
吹田市から守口市の昼の中学校に転勤。そこに4年勤務し、1987年4月、守口夜間中学に勤務することになった。夜間中学に転勤したい希望を伝えたが、すぐに夜間中学とはならず、昼の学校を経験することになった。この方法は自分にとってよかったと考えている。市町村ごとに学校の雰囲気は微妙に異なるのだ。うまくいえないが、地域性、教育運動、歴史が異なり、時間と共に教育風土が違ってくる。直接夜間中学に転勤するのではなく、守口の教育風土を知った上、夜間中学がどうして開設されたのかをしっかり学んでから夜間中学へ行けばよいとの判断がされたのだと考えている。守口市の多くの教員と知己を得、大切にとりくんでいる教育運動の一端を体験し、多くのことを知ることができた。
「青い鳥を求めて夜間中学に行くことより、いまの学校にも青い鳥がいます」と同僚から言われた。が、教員生活も18年を終えるので、夜間中学教員をとの想いで転勤した。

しかし、昼の学校の常識は、1日目にして破壊された。出席簿の中に、6年前の夜間中学の文集『まなび』に掲載されていた人と同姓同名の方を見つけた。クラスで文集のことを尋ねると、その文を書いたのは私だと返事が返ってきた。夜間中学は3年で卒業とはならないのだ。
それまで休まずに通っていた一人の夜間中学生が、ある日から連続して学校を休みはじめた。連絡もない。親戚関係にある夜間中学生に尋ねると、家族が病気だと教えてくれた。家庭訪問をすると家は留守で鍵がかかっていた。近所の人が、病院に行っていると教えていただいた。病院に行って話すことが出来た。まもなく退院できるので、学校に行けると話された。
このように、夜間中学生は本人が病気でなくても、家族が病気になると学校を休まざるを得なくなる。従って出席状況は70%を越えることは少ないという状態だ。
高齢の夜間中学生も学んでいる。みなさん元気ですね、といったら「元気な人だけが夜間中学生です。元気でなかったら学校に行きたくてもいけないのです」と返事が返ってきた。その夜間中学生も家族の誰かが、病気になると休まざるを得なくなる。
この実態を受け入れ、授業を組み立てる力量が教員には要求されている。長く休んで、この日出席した夜間中学生が明日も学校に行ってみたいと思てもらえる授業の創造だ。勉強が進んで、とてもついて行けないという不安を取り去り、背中を押す授業だ。
夜間中学は中学校だから中学校の教科書を使って、学習内容を提供しないとという“常識”は夜間中学では通用しない。これを強行すれば、砂をかむ授業になってしまう。夜間中学生も下を向いてしまうし、突っ込みも少なくなる。その反応を見て、教員もわかってもらおうと、説明が長くなる。こんな授業は、明日も学校に来るぞと言う意欲を削ぐことになる。
夜間中学に長く通う人、欠席がちな人、ある日やっと出てきた人、休まずに登校できている人など、一つのクラスに混在しているのが夜間中学だ。夜間中学の授業の組み立ては、「その日の授業の狙いを明確にして」、出席者の状況に応じて柔らかさを持って臨むことが大切だと考える。具体的な事例で話さないとと思うが、これまでここで書いてきた授業実践記録を見ていただければと考える。