夜間中学その日その日 (746) 白井善吾
- journalistworld0
- 2021年3月8日
- 読了時間: 4分
“わらじ通信”の問いかけ 2021.03.08
1975年1月1日に出版された、髙野雅夫編『ルンプロ元年 자립』は1124頁、大冊の夜間中学基本図書である。別名“夜間中学の電話帳”と私たちは呼んでいる。ともかく夜間中学でわからないことはどこかに書いてあるという不思議な本だ。

髙野雅夫さんは証言映画『夜間中学生』を携え、夜間中学の広報と開設を訴えた全国行脚は446日にも及び、行く先々からその日の出来事や、考察と論考を一日も欠かすことなく、官製葉書に記した“わらじ通信”を母校荒川九中夜間中学に送り届けた。
そのわらじ通信は『자립』に507頁にわたって収録されている。私たちはその様子を50年後の現在も詳細にたどることができる。こんな縁の下のとりくみがあったが故、今が在るのだと読み返すたびその想いを強くする。
大阪人権博物館特別展「夜間中学生展」に来館した前川喜平さんは、映画「夜間中学生」の16ミリフィルムと編集機材の展示の前で、髙野さんの運動と映画がなかったら夜間中学はなくなっています。と私たちに話されたことを想い出す。
髙野さんの全国行脚は、非常に自由度の高い展開が特徴だ。母校や連絡先に送られてきた、一通の手紙が髙野さんに届くと、その内容に応えるべく、予定を組みかえ訪問されている。そのやり取りの手紙が髙野雅夫夜間中学資料室の資料の中にある。
一つを紹介する。文集『ぼくら夜間中学生』のことを知ったある中学校の先生から、手紙が届くと、要請に応え、髙野さんはその文集を郵送した。その文集を読んだ子どもたちの感想と一緒に礼状を送らねばと考えていたところ、髙野さんが函館についたという新聞記事でこの先生は次のような手紙を髙野さん宛に出された。
「‥文集では本当に生々しい現実にぶつかって、私自身の青白い幻想が粉々と砕ける想いでした。‥一番心配だったのは少女趣味の小説や漫画ばかり読んでいる子どもたちが、このきびしい現実を幻想化して、ロマンチックに考えてしまうのではないかということでした。なぜ夜間中学があるのか、それがどうして廃止されようとしているのかについて話しました。そして、このことは只同情するっていうことでは済ませない、否、同情なんか必要なのではなくてその現実をきちんと見つめることこそ大切なのだということを話しました。まだ子どもたち全体の中での話し合いはできておりません。髙野さんからいろいろお話を聞きたいと願っております‥しかし、あまり便利な地ではありませんので、無理にとは言えません。できればと書き添えます。‥1967年9月27日」。
この後、手紙には学校までの交通手段などが記されている。函館から江差線で約1時間40分、上ノ国下車。松前行きのバス約1時間小砂子下車。そして、当地には16ミリ映写機がないとも記されている。
この手紙を受け取った髙野さんはどうしたか?
小樽から函館に戻り10月12日ここを訪れている。「辺地と夜間中学に教育の原点が」と題して、わらじ通信は「am 6:30起床。9:17函館発江差行の準急乗車。11:11着、バスに乗り石崎まで行。それから9.8kmをリックとフィルムを担いでテクテクと。約1時間半海岸沿いの山道を一人歩きながら「なぜ俺は、ここを歩いているのだ、何のために」と自問自答-。と書いている。
この日のことを髙野さんに話すと、1日に1本しかないバスに乗り遅れ、歩いたんだと昨日のことのように話された。小中合わさった学校で子どもは全体で68人。放課後1時間半ほど話し合った。文集を読んでいた生徒たちの真剣な眼つきであったこと。夜も先生のうちに子どもたちが集まってきて、「生きたイカをぶら下げてきた」子どもがあった。わらじ通信には「9時を過ぎても子どもたちは帰ろうとしない」「また来いやという生徒たちを見ていると10kmも歩いてきて本当によかったと思う。しかし、彼らの将来を思うと心が重い。辺地教育になぜもっとお金をかけないのだ。ちっとも人間が大切にされていない」。
夜間中学に直接結びつかなくても、労を惜しむことなく実行し、出逢いを大切にされている。それこそ地べたを這うとりくみあったが故、夜間中学の今がある。当時の政府・文部省は法律違反だと反対を唱えるが、市民の開設運動により、地方自治体行政に働きかけ、夜間中学は開設されてきた。
50年後、現在はどうだろう。2021年2月26日 NHK ニュースウオッチ9で「義務教育を受けられなかった人たちが学ぶ『夜間中学』の設置をすべての都道府県に求める法律の施行から4年余りがたちますが、いまも33県で具体的な設置の見通しが立っていません。こうした中、文部科学省は今後5年間で全国での設置を目指す考えで、各地の教育委員会に対し取り組みを一層推進するよう通知しました」と報じている。
文部科学省は増えや(笛や)太鼓を鳴らすだけでなく、わらじ通信の主張に真正面に向き合うこと大切ではないか。
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