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夜間中学その日その日 (752)    白井善吾

  • journalistworld0
  • 2021年4月12日
  • 読了時間: 5分

夜間中学の存在意義


 教員になって19年目の1987年4月、私は夢膨らませ夜間中学に転勤した。担当教科やクラスが決まり、当然複数教科を担当する。明日からの授業をどうするか、先輩に聞き、考えた時、昼の子どもたちが使っている教科書は使えない。クラスには国籍、年齢、就労している人、就学経験のない人から来年は卒業してできたら高校にも行きたいという人。何年も一つの学年の授業を体験している人もいる。こういった様々な人たちを前に、勉強してよかったと思ってもらえる授業をどう組み立てればよいか。覚悟して転勤したのだが、現実は厳しかった。昼の教員では経験できなかった苦労がそこにはあった。夜間中学生が書いた文集を何冊も目を通し、どんな仕事をされているか、されたか、どこにお住まいか、何人家族か、読み取れる情報を頭に入れ、始業式で着任の挨拶をした。

 話し下手は今も昔も同じ。夜間中学生から向けられる視線に圧倒され、背を向け黒板に、ゆっくり、大きく自分の名前を書いて、漢字にルビをうって、時間稼ぎをして、呼吸を整え、言葉を出していった。

 教科書は使えない。教科書の文字は活字が小さく見えない。大きな凸レンズの拡大鏡は夜間中学生の必需品。地図帳を広げて、明石を通る経線を読み取ってもらうのは一苦労。いま夜間中学生と同じ年齢になって、無理なことを平気で言っていたことを恥じている。

 今日の授業をどう組み立て、何を準備するか。授業が始まるまでの夜間中学の〝放課後〟にある会議でも、授業の組み立てに頭の半分はいっていたように思う。このように生みの苦しみをかいくぐってできた授業の展開も無残な結果に終わることの方が多かった。夜間中学生から出た助け舟に載って、一命をとり止めたこともあった。夜間中学生の方が一枚上手で、教員を突き放したり、よいしょしたり、舞台を切り替える質問があって、授業は夜間中学生の共同作業という事ができる。教科書のない、テストのない授業で、何で勝負するか。夜間中学の授業づくりの苦労は教員人生でも力が身についてきていると実感できた経験である。

 一方、いま夜間中学が存在することの意義を前面に、夜間中学の開設、増設への世論をどう作るかの展開とその方法とその理論化が重要だと思った。1980年代も、政府をはじめほとんどの教育行政は、政府の姿勢を受け、夜間中学を冷遇視し、設置したくないし、できるならなくしたいという考えであった。

 1990年国際識字年が日本でも始まり、国は識字問題は日本は解決済み、外国の問題だとする政府の考えに対し、そうではない国内にある識字問題を提起し、とりくみを推進する国際識字年推進実行委員会が組織され、近畿夜間中学校連絡協議会として加盟した。夜間中学内でも議論を重ね、夜間中学の存在意義を明確化し、識字問題に結集する人たちに存在意義を訴え、広い視野に立って、識字問題、夜間中学問題とりくむ理論化を行うことができた。

(存在意義)

① 夜間中学は義務教育保障の場であり、義務教育を受ける権利を〝補償〟する場である。

② 夜間中学は教育面での戦後補償を行わせる「砦」である。

③ 夜間中学は教師が学ぶ場である。

④ 夜間中学は昼の子どもたちが学ぶ場である。

⑤ 夜間中学は夜間中学生の家族にも大きな支えになっている。

⑥ 夜間中学は国際化最前線としての多文化共生の実践検証の場である


 夜間中学を開設することの意味を明確化するとき、学校教育、社会教育、識字学級、オモニハッキョ、などいろいろあるが、夜間中学は何を拠り所にするか、国際識字年推進実行委員会で知己を得た内山一雄(天理大学)さんとの議論を得て次のような表にまとめることができた。

(表)



 明確化することにより、夜間中学開設にマイナスになるとの指摘もあったが、夜間中学の立脚点を夜間中学自身も自覚する必要があると考えている。この議論を行っているとき「韓国では識字をテーマに研究し、識字の博士論文があるが、日本では夜間中学の研究者はいらっしゃるのか?」という質問を受けた。夜間中学の教員は実践を行いながら、さまざまな分野のとりわけ、解放教育の理論や在日朝鮮人教育、引き揚げ帰国者の教育の主張を援用しながら、夜間中学の理論建てを試み、夜間中学つぶしに対峙してきたといえる。

 夜間中学に関する雑誌記事、研究論文は1945年から2020年まで合わせて531数えることができる(夜間中学資料情報室調べ)。内訳は雑誌記事388、大学の紀要など研究論文143となっている。夜間中学をテーマにした博士論文も6~7生まれてきている。

 夜間中学現場で行動原理としてきた考えを研究者はどのように受け止め、記述され位置づけされているか気になるところである。2つほど挙げるなら

 夜間中学での学習権の公的保障という教育実践は新しい時代の学校、義務教育の再構築に向けた模索の一つであり、国籍、能力による差別・排除の壁を掘り崩しつつある(浅野慎一:ミネルバの梟 2012年)。

 対抗的な言説と実践をもって既存の制度を乗り越えていく夜間中学の可能性を法制化がもたらす弊害により損なわれることを危惧している(江口怜:夜間中学政策の転換点において問われていることは何か 2016年)


 私たちが『生きる 闘う 学ぶ』で主張し、法制化がもたらす危惧も受け止めていただいているようだ。夜間中学の生命線だと考えていることが首肯されている。守口夜間中学に勤務していた時、教職員のみならず、夜間中学生と共同で『守口夜間中学その学び』第1集~第3集、『不思議な力 夜間中学』、『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』『夜間中学で「まなぶ」』を出版し、夜間中学の実践を報告してきた。当時の私たちの到達点であり、あなたたちは夜間中学で何を実践されていますか?との問いに対する私たちの回答として、出版してきた。昼の義務教育の焼き直しではなく、現在の夜間中学現場の実践はこれだを明らかにしてほしい。


 
 
 

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