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夜間中学その日その日 (764) 砦 編集委員会

  • journalistworld0
  • 2021年6月29日
  • 読了時間: 5分

50年目の夜間中学開設全国行脚「高知」・・高知からの応答(4)

2021.06.29


 高知県関係者の英断と高知に公立の夜間中学を開設させようと、市民運動のとりくみにより、2021年4月26日、県立高知国際高校夜間学級が開校した。私たちは“50年目の全国行脚”と位置づけ、髙野雅夫さんを先頭に、大阪の夜間中学生、卒業生等が、2017年8月から、数回にわたり、夜間中学体験学校をはじめ、高知のとりくみに参加、夜間中学に学ぶ喜びを伝え、高知新聞の声の欄にも投稿するなど、夜間中学開設運動に参加することができた。

 高知県に「夜間中学」をつくる会主催の「夜間中学」開校に向けた学習会(2020.11.21)に近畿の夜間中学から、「50 年目の全国行脚」のとりくみとして夜間中学生、教員、卒業者、7名が参加した。入学希望者をはじめ、高知の参加者に関西の夜間中学生の想いを伝えることができた。



夜間中学開校はとりくみの始まりと考えている。たどり着けていない仲間に、学ぶ喜びを伝え、夜間中学生が主役となる夜間中学をめざして、連帯してとりくんでいきたい。


 この学習会でも私たちは取材を受けた、「高知さんさんテレビ」の澤さんが制作されたドキュメンタリー番組『チャイムのない教室-夜間中学それぞれの夕空-』が2021年5月23日、高知で放送された。フジテレビ、関西テレビでも後日放送されるとお伺いしている。

 高知の学習会に参加した夜間中学生が学んでいる、意岐部夜間中学そして第2回夜間中学生寄席にもテレビカメラが入った。高知県に「夜間中学」をつくる会に寄せられた澤実生さんの取材後記の紹介を砦編集委員会も受けた。高知からの応答(4)としてご紹介させていただく。


ドキュメンタリー番組『チャイムのない教室-夜間中学それぞれの夕空-』

取材後記              澤実生 (高知さんさんテレビ)


 「夜間中学」に出会ったのは、2020年の夏のことです。 高知県内では初めてとなる公立の夜間中学、高知国際中学校夜間学級が翌年の春に開校するというので、その説明会の取材をしたのが始まりでした。

それまでの私の認識では、「夜間の学校」といわれて思い浮かぶのは、定時制の高校や、社会人向けの大学カリキュラム。まさか「夜間」がつく中学校があるとは、取材するまでは恥ずかしながらその存在すら知りませんでした。

実際に夜間中学に通っている“生徒”や、通おうとしている人たちに会ってみると、一見、何も困っているようには見えません。むしろ情熱や生命力にあふれる人ばかりで、体力・気力に乏しい私は羨ましささえ感じるほどでした。 彼ら・彼女らは、なぜ昼間や通信制の学校ではなく、夜の中学校へ行かなければならないのか? 取材を進め深く関わるうちに、夜間中学とは「戦後の混乱や家庭の事情により学校へ通えなかった人たちのために作られた学校である」……と一言で説明できるほど簡単なものではなく、それは表面的な理解に過ぎないということに気付きます。

 そこに通う人たちというのは、壮絶な家庭環境や社会情勢により勉強ができる環境を「奪われた」人、自身の特性や周りの無理解により学習への参加を「許されなかった」人、そうして何年もかかって夜間中学の存在を知り、逡巡した末に“死にものぐるい”で「たどり着いた」人たちでありました。

 このような人たちは、未だにたくさんいます。中学校を卒業していない人や、不登校や引きこもりなどにより中学校を形式的に卒業した人の数は、国の試算によると120万人を超えるといわれています。彼ら・彼女らは、「義務教育」という枠組みに沿った社会の、硬直した想像力の範囲の外で、今もひっそりと、しかし確実に生きているのです。いつの間にか、高校へ進学する人が大半である時代です。教育の進歩や発展は、一方から見れば喜ばしいことでしょうが、他方から見れば、一辺倒な環境を生むものであるかもしれません。なにせ私を含め、多くの人は周りに「高卒以上の人」しかいないのですから。

 恵まれた環境にいること(もちろん全員がそうではありませんが)を標準と捉えてしまっていることと、そこに収まらなかった人には冷たい環境であるということ、果たしてこれは私たちには十分に“見えている”のでしょうか?

 番組中にも出てくるように、夜間中学は、先生と生徒の垣根なしに教え合い学び合う場所です。立場も生い立ちもさまざまな人たちがいるからこそ、気付き、発見し、新たなつながりを得て、そしてまた気付いていく。この「気付き」の範囲を拡大し、他の学校や社会全体と夜間中学とで理解を深め合い、互いに発展していくのが理想ではないでしょうか。

 そのためにはやはり、第一に知ることです。“生徒”たちの目線で、彼らの生活を感じることです。そうして見えなかったものが少しでも見えるようになり、人々が知と想像力を共有できるようになったならば、誰もがこれまでより少しは生きやすくなるでしょう。この番組がその一助となることを願ってやみません。

 最後になりましたが、この度の取材にご協力くださった関係者の皆さまに改めてお礼を申し上げます。


………………………………………………

 大阪での開設運動に大きな力を発揮した、新聞、テレビ、マスコミの力を忘れることはない。関西テレビの番組・桂米朝司会の「はーい土曜日です」(1968.11.23)が夜間中学を取り上げ、小林晃さんの名乗り出と神戸丸山中学西野分校への“越境入学”が開設運動推進の世論を巻き起こす原動力となった。そして、関西テレビは小林晃さんを追って、ドキュメンタリー番組「16年目の入学」(1969.4.13)を制作、天王寺夜間中学が開校することを多くの入学希望者に届ける役割を果たした。

 高知さんさんテレビ・澤実生さんの夜間中学へ一層のお力添えをお願いいたします。


 
 
 

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