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夜間中学その日その日 (789)    白井善吾

  • journalistworld0
  • 2021年11月18日
  • 読了時間: 4分

『こんばんは、夜勉です。』-大学生が夜間中学を学ぶ-(その7)

                             2021.11.18

 10章「夜間高校生のエスノグラフィ-」の著者は森下駿さん。聞き慣れない言葉「エスノグラフィー」について調べると、「フィールドワークや参与観察といった経験的な調査をとおして、自分の慣れ親しんだ文化と異なる文化に生きる人びとの社会生活について記述する営み」のこととあった。



 森下さんは夜間高校の教室に入り、高校生と机を並べながら授業を体験し、できごとを記録し、分析と考察を加えまとめられた。夜間高校生に着目した理由として2点挙げられている。全日制と夜間高校に学ぶ生徒の違いを知りたい事。もう一つは夜間中学を卒業した高齢生徒と若年生徒が学校に通う目的の違いを比較しながら「学校とは何か」「学校に通う意味」について迫りたいと理由を説明されている。

 私も夜間中学から昼の中学に転勤したとき、2年間、兼務の承認を受け、定時制高校の授業を担当したことがある。夜間中学を卒業し、夜間高校で学ぶとき、夜間中学で行っている授業を定時制高校で実践するときのスタイルを定時制の先生方に提示することと、卒業生の相談に乗ることの目的であった。夕刻、生徒指導で家庭訪問をしている中学教員を後に学校を離れることはほんと申し訳ない気持であった。定時制高校で授業以外に、定時制高校の校内研修で話をしたり、授業公開を行ったりしたが、成果が上がったかと問われれば心もとない。

 教員をめざされている森下さんには学習者、そして教員の両者の想いを共有する、貴重な経験になったと推察する。森下さんは11日間、21場面、ホームルーム、総合学習、基礎国語、世界史、現代文の授業を体験しながら、参与観察を記録されている。

 考察と分析を見てみよう。1点目について「若い生徒と年配の生徒が一緒に授業を受けてること」をあげられている。同年代の生徒が集まっている全日制では「自分のできることは他人もできる」と感じることに対し、夜間高校では幅広い年齢層の生徒が共に学んでいるため、「お互いに苦手な部分がはっきりしているため、自然とお互いの苦手なことを補う形になっている」と指摘されている。

 2点目について、「正解するための力ではなく、正解を考えるための力を育てる。つまり、『考える人』の土台作りができる学校こそ理想である。そのためにも、学校は“安心できる場所”でなければなければならない」さらには「体罰や校則で無理やり従わせるような授業に接することもなかった。むしろ常に生徒に寄り添いながら『まずは話を聞く』という教員の姿勢があった」。

 次のような記述もある。夜間高校生が他の生徒を圧迫しないのは教員に感化されていたということである。つまり教員に影響を受けた生徒が学校における(学校だからこそ起こる)問題を未然に防いでいるともいえる」「それを教員が引っ張る形で先導し、実現しているわけではない。教員も生徒に影響を受けながら生徒を促すように、寄り添うように伴走している」。

 思わず膝を叩きたくなる記述が続く。「学校生活の中で自身との葛藤を繰り返しながら、生徒は成長する。つまり“何度でも安心して失敗できる場所”が学校である」。

 このことについて、近畿夜間中学校生徒会連合会の集まりで、夜間中学に入学の面接に臨むときの心情を次のように語っていた。「昼の学校と同じ先生がおったらどないしょ、昼の学校と同じように苦しい空気があったらどないしょと思いながら、夜間中学の先生と話しをし、入学した」。

 夜間中学の現場を見られた方が「教育の原点」という言葉で表現されるが、それは具体に何なのかという回答が森下さんの記述の中にあると受け止めさせていただいた。

 また、森下さんはパウロ・フレイレの主張を引用しておられる「教育者は教育される側のよき同志であることが必要である。教育する側も教育される側も共に知ることこそが教育する側の真の仕事となる」と。この意味を具体的に例示されたと受け止めている。

 恥ずかしいことながら、私がパウロ・フレイレさんがどんなかただか知らずに、フレイレさんを前に夜間中学の説明をしたことがある。1990年国際識字年に大阪に来られた時だ。そのあと教えられ、著書を読んだとき、説明している場面を思い浮かべ、亀のように頭を隠したくなる想いになる。私の教員生活の半ばごろの出会いだ。

 フレイレさんの話で印象に残っているのは「識字の指導者の立場を考えると、文字を教えること自身が政治的に全く中立の立場に立つことはありえない」と語ったことだ。文字を奪われ、言葉を奪われた人を前にしたとき、「自己と世界の関係を変える」共同作業は政治的に全く中立の立場ではできないということだと私は理解している。フレイレさんが言ったこのことは、以後の私自身の立ち位置を迫るコトバとなった。

*髙野雅夫編著『チャリップ』は 白井善吾(メールアドレス

 zengo1214@hotmail.com)に連絡ください、10,000円+送料として11,000円でお送りすることができます。

*本書の編著者の水本浩典・金益見さんの出版書籍は、最寄りの書店でご注文いただくと対応できるとのことです。(続く)

 
 
 

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