夜間中学その日その日 (797) 蟻通信編集委員会
- journalistworld0
- 2021年12月13日
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2021.12.13
2013年末から2014年にかけ、天王寺夜間中学を廃校にしようとする大阪市教育委員会の動きがあった。近畿夜間中学校生徒会連合会が力を合わせ、天王寺夜間中学生徒会を応援、大阪市教育委員会に存続を迫った。思わぬ展開になった。「天王寺夜間中、存続へ 『耐震工事が必要』は勘違い 市教委『言い伝えで…』」とする新聞報道があった(2014.1.28毎日新聞朝刊)。
夜間中学生徒会のとりくみがなければ、この結末がなかったであろう。就学援助補食給食存続の闘いに学び、当事者の立ち上がりが、大きな動きにつながる。夜間中学生徒会も当時の夜間中学教職員も大きな学習をした。天王寺夜間中学 存続に向けた闘い(4)を紹介する。その教訓を今にいかさなければ。

天王寺、文の里2校の夜間中学を廃校にする教育委員会の計画は、8年前の策動を教訓にしたのか、今回、教育委員会は、文書は一切出さず、すべて口頭である。あるのかないのか、その場にいないとなんのことなのか、全くわからない。「わからないことがあれば、いつでも説明に来ますから、校長先生に言ってください」「みなさん(夜間中学生)の意見を聞いて、教育委員会として考えないといけないこともあります」といって夜間中学生に説明に来た教育担当者は帰って行った。しかし、私たちが出した沢山の疑問、質問に答えていないと夜間中学生は言っている。
昼の学校を廃校にするということを説明するとき、教育委員会は印刷物をつくらず、説明するということはしないはずだ。時間を掛け、何度も何度も保護者や地域住民と話合いの場を持ち、理解を得る努力をするはずだ。別の場面では、夜間中学生はその保護者や地域住民でもある。
教育委員会や自治体は夜間中学を「義務教育を受けることができなかった、気の毒な人」「その人たちに勉強せてあげています」としか考えていないのではないか。夜間中学や学習者をそんな見方でしか見ておられないんだとしたら、その人たちこそ、夜間中学で夜間中学生の横に座って、研修していただく、その役割を夜間中学は持っているといっておこう。
(夜間中学資料情報室 白井善吾)
夜間中学その日その日 (336) 蟻通信編集委員会
天王寺夜間中学 存続に向けた闘い(4)2014.02.06
近畿夜間中学校生徒会連合会の臨時の役員代表者会が2014年2月2日、天王寺夜間中学で開催された。天王寺夜間中学存続に向けた夜間中学生徒会の行動を決定するためである。
まず天王寺夜間中学から1月12日以降の詳しい経過報告と取り組み報告があった。
「天王寺夜間中学の校舎は国の耐震基準を満たしていた。当面2016年度以降も継続して使用できることが判明した。市教委が誤った情報で皆様方にご心配をおかけしましたことをお詫びし、訂正いたします」とする文書(2014年1月29日付)が配られた。大阪市教育委員会に出向いて説明を聞いてきた(1月31日)とする内容だ。
「(大阪市教育委員会の説明には)私たちは納得できないと怒りをぶつけてきた。この間、頼りないと先生たちに散々文句を言ってきた。夜間中学生だけで座り込みでも何でもするといってきた」「新聞を見て驚きました。初めからつぶすつもりかと思いました。(大阪市教育委員会は)そこまでするのかと思った」「私たちにとって、学ぶということはどういうことかわかりますか。学ぶことは生きること。生きることは食べること。食べることは働くこと。働くことは学ぶこと。学ぶことは人間の原点です。それが悪いことなんですか。簡単につぶそうとするなんて、なんでそうなるのですか。(教育委員会の)皆さんは小学校、中学校、高校、大学と学び続けて、今こうして働いているのでしょう。私たちは学びたかったけど、戦争で学べなかったのですよ。もし学んでいたら、人生が変わっていたかもしれません。今ようやく学びにたどり着いたというのに、どんだけ私らをいじめたら気がすむのですか」。市教委の先生にこの様に言ってきた。

この報告を受け、何人かの手が挙がった。「天王寺の役員さんご苦労さん、ありがとう」「しかし、納得できません。(教育委員会は)今日この席に来て話をするのが誠意ある態度ではないのか。これが世間の常識だ」「1枚の紙切れを校長に渡して済ましたらあかん。直接私たちに言うべきではないのか。学んでいる私たちが主役だ」「今説明あったこと文書になっていますか?〝当面〟〝6年〟〝さしあたって〟あいまいな話ばかりです」「毎日新聞の記事を読むと教育委員会は謝る一方で脅しをかけている。記事の後半では天王寺は必要ないといっていると読み取るべきだ」「(担当者は)市内4校の夜間中学を2校にするという話もした。脅迫と同じ。(謝るだけでなく)なんでおつりまでくれるのか」「うちとこだけの問題でなく夜間中学全体の問題や」…40人を超える夜間中学生が意見を述べた。
時間をかけ、腰を据え、対応していこうとする教員の説明に対し夜間中学生は「6年後、ここにいる夜間中学生がどれだけいますか?今、私たちの考えを堂々と主張し、新聞に載せてもらい、全国に伝えていくことが大切です」「夜間中学を知らない仲間に夜間中学を伝える、募集活動が大切だ」と語り、意見交流を続けた。
「毎日の生活がかかっている夜間中学生が多い。文字と生活とどちらを取るかといえば生活をとる。そんな状態の仲間が多い」「せっかく入学しても楽しい勉強がいろんな理由で、嫌になって止めていく人もいる」「私たちは地域に根を下ろした夜間中学をと、取り組んでいる」「昼の生徒と交流授業を行っている」「ラジオに出演して夜間中学の話をして募集を訴えた」「私はポスターを見て入学した。だから、お風呂屋さんや団地の告知板にポスターを張ってもらっている」「キムチ屋さんの袋の中に夜間中学のビラを入れてもらっている」…各校で取り組んでいる募集活動の方法を交流した。
1968年~1969年の夜間中学開設運動に取り組む髙野雅夫さんの姿を追ったドキュメンタリー「浮浪児マサの復讐」を鑑賞し、1969年6月5日天王寺入学式で語った髙野雅夫さんの挨拶を読み、参加者は決意を新たにした。
天王寺から再度、要望書を考えて提起する。募集活動の新たな方法を提起するが各校募集活動に取り組むことを確認してこの日の役員代表者会を終えた。(了)
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