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夜間中学その日その日 (852)   砦通信編集委員会

  • journalistworld0
  • 2022年11月13日
  • 読了時間: 4分

  夜間中学で会いましょう           2022.11.14

 大阪と奈良の県境、二上山が迫ってきた。電車は紅葉の中をくぐって、雄岳、雌岳が方向を変えて遠ざかっていく。畝傍山が近づく頃には気持ちの準備は十二分だ。大和八木で乗り換え、いつも見ている、今井町の家並みではなく、反対側の奈良県立医大の建物を眼が追っていた。畝傍夜間中学の横を通り過ぎる頃、座席を立ち、訪れる畝傍夜間中学の校舎を見えなくなるまで眺めていた。

 2022年10月30日、昨年の開設30年のとりくみを受け、畝傍夜間中学で『MEET THE 夜間中学』が開催される。どんな発表が聞けるか、どんなとりくみだろう?

会場の体育館に入ると、準備は整い、間隔を開けて並べられた椅子には来校者が座り始めていた。前日に高知で開催された『四国に開校した3校の夜間中学から学び合う』学習会に参加した人たちの顔もお見受けする。朝一番の飛行機で参加した人、昨夜9時に高知を発ち、深夜2時大阪に戻り、畝傍にかけつけたという近畿夜間中学校生徒会連合会の会長の姿がある。参加者の、その熱い想いが、会場に満ち始めた。テレビカメラもスタンバイ、定刻になった。



 挨拶の中で、校長はつぎのように述べた。国勢調査で、奈良県内に8,000人、橿原市内に640人の義務教育未修了になった人がいること、できるだけ多くの人に夜間中学で学べることを知って頂くことを目的に集まりを開く。そして兼務している、昼の中学校と夜間中学は離れているが、自然と足が夜間中学に向くこと、そして夜間中学生から元気を貰っていると語った。

 市長は「学びたいという想いは誰からも侵されない」と挨拶を行った。

 第一部は「私の十代のころを 思い出して」西田正江さんが会場に広がる澄んだ声で話した。大阪市西淀川区で大きくなり、10代で経験した空襲、滋賀県での疎開生活を報告した。「戦争は本当にみじめです。戦争は絶対あかん」力を込めて語り、発表を結んだ。10/25に95才になった西田さんは、年々厚くなる、自分史を書き続けられている。西田さんを紹介した、教員は「文字やコトバを学ぶ人を私たちは“レターチャレンジャー”と呼んでいる」と話された。「『非識字』のことばは使っていけない、レターチャレンジャ-という言葉を使っている」と故・中納光男さんがいっていたことがよみがえってきた。

 北森さんは、32歳の時来日、週1回、公民館で日本語の勉強を始めた。しかし、子どもが学校から持って帰る通知が読めなかった。知人の紹介で夜間中学に入学した。その子どもが「ママ、今日、夜間中学へ行って、勉強がんばるか!」といい、一緒に夜間中学にきている。「畝傍夜間中学は私と子どもの学びの場所です」と発表した。

 毎週土曜日、畝傍夜間中学で開かれている卒業生の集いの場“ひびき”に参加している大西久子さんは「トーキングエイド」を使って、自分史を書き加えていっている。30年前はひらがなボードでひらがなを押さえながら、意志を伝えていたが、この日は、トーキングエイドを使って書き上げた自分史を、支援者が読み上げる方法の発表であった。子どもが5歳の時、タンスがひっくり返り、頭を打ち、支援者に連絡し、病院に担ぎ込んだことを話し、「文字はいのちです」と話した。

 学校紹介、橿原に夜間中学をつくり育てる会の活動紹介の中で会の法律顧問・内橋弁護士から、夜間中学生が居住市町村から不当な扱いを受けたケースがあり、その解決に大きな支援ができた報告があった。創造的なとりくみが行われているつくり育てる会の役割はますます大きくなっている。

 第二部では春日夜間中学卒業生・西畑さんの発表と西畑さんを取材したノンフィクション落語「生きた先に」(落語家・笑福亭鉄瓶)が演じられた。夜間中学生の半生の自分史を落語に、筆者の中ではまだ整理がつかない。

 日教組教育新聞で13回の「発信夜間中学」の連載があった(1996.4.30~9.24)。全国の公立自主夜間中学関係者が執筆した。この連載を受け、髙野雅夫さんに聞く「原点から問う夜間中学の今」の記事が(1996.10.15~10.29)掲載された。そこには ➀「昼間」以上に問われる教師の哲学 ➁生徒の力を信じてほしい ➂美談にあぐらをかくなかれ、 髙野さんは3点の提起を行なっている。別の時には、ほめ殺しをして、何人の夜間中学生の力を削いできたかと問われたことがある。夜間中学生、一人ひとりはすごい力を持っている。その力を信じてほしいと。

夜間中学生の力を信じ、その力を発表できる場を設定し、縁の下の力持ちに徹した、畝傍夜間中学教職員集団、つくり育てる会の姿勢にさわやかさを感じた。

 大和八木駅前の橿原市役所分庁舎1階で開催されている夜間中学生の創作作品展(10/26~11/2)は訪れることができなかった。暗闇のなか、二上山の輪郭も見ることもなく、資料として入れられた「夜間中学憲章」(1996年5月18日/奈良県夜間中学連絡協議会)の10項目を何度も読み返した。

 
 
 

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