夜間中学その日その日 (935) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 2023年12月12日
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第69回全国夜間中学校研究大会(3) 2023.12.12
もう一度、大会研究主題を確認すると「夜間中学の原点と歴史をふりかえると同時に夜間中学をとりまく現状から、教育のあり方を問いかえそう」「基本的人権としての学ぶ権利を保障しよう」「これからの夜間中学のありようを展望しよう」の3点である。

夜間中学現場を離れて、10年に近くなると、夜間中学生も教職員の多くは存じあげない人になってしまうことは当然である。名前と顔が一致しない。逆に、自主夜間中学関係者は10年一日のごとく、元気にご活躍いただいている。懐かしい顔にお目にかかり、挨拶をすることができた。夜間中学現場に急速の変化が押し寄せているのだ。
明日の夜間中学を託す教職員や入学生に夜間中学の歩みと原点を伝えていく方法が69回研究大会 全体会C [奈良からの発信]で提示された。2名の夜間中学生の先輩と後輩が半世紀近い時空を案内、繫いでいく組み立てだ。その時期、その渦中にいて、とりくみをその当事者が報告されるのだ。
大阪府の他府県から夜間中学入学拒否をバネにとりくみが始まった自主夜間中学「うどん学校」の誕生(露の新次さん)。
奈良公立夜間中学(3校)の開設の運動(米田哲夫さん)。
更に宇陀(東部)・吉野(南部)・西和(西部)の自主夜間中学運動(山本直子さん)。
その間を大村(吉野自主夜間中学生)ら学習者の体験発表で裏付けた。最後は夜間中学生が舞台から、「夜間中学で学ぶことの意味」を語った。壮大な2時間半の発表で大会参加者を釘付けにした。
自主夜間中学「うどん学校」の様子を髙野雅夫・岩井好子・遠藤幸子・田辺和男・市原ちえみ・老田誠一・川瀬俊治・・20名を超える名前を書いた模造紙を掲示して落語家・露の新次さんは「うどん学校」の様子を語った。話術以上に一人の学生・先生として、夜間中学生と向き合った、経験が、半世紀前のうどん学校の息吹を会場に届けた。奈良私学労働組合協議会・正強学園・部落解放同盟・社会党・総評などの組織がうどん学校の市民運動を支えたことを話した。
露の新次さん、事前の打ち合わせ無しで、会場にきている髙野雅夫さんを参加者に紹介した。その場を離れない、髙野さんの様子を見て、露のさんはマイクを渡した。
「アニョハセヨ 東京荒川九中夜間中学卒業生髙野雅夫です。1964年3月18日、24歳で卒業して、57年間夜間中学の卒業生であることを、最高の誇りに生きてきました。我が母校には三つの伝統がある。夜間中学は本音を言うところだ。陰口をたたくな。夜間中学に学ぶ仲間はたとえ人殺しになっても仲間である。しかしこの伝統も死語になってしまった。天王寺夜間中学、文の里夜間中学廃止反対の行動にすべてをかけて闘います。カムサハムミダ」。
会場に髙野さんの声がしみこんでいった。初めて参加された人たちには、どのように受け取られたのだろう。
余韻を残して、舞台には6人の夜間中学生が並んだ。奪い返した文字とコトバで綴った自分史を発表した。土曜日に開かれている、卒業生の集いの場“ひびき”に参加している大西久子さんは「トーキングエイド」を使って32歳で橿原自主夜間中学に入学して、70歳になった今も学び続けている人生を語った。
「夜間中学が近くにあれば・・」オモニのこの一言を受け、1987年に始まった橿原自主夜間中学から公立夜間中学へ、そして奈良全体の夜間中学のとりくみと夜間中学の思想を米田哲夫さんが話した。詳しくは触れなかったが、学校公開の場で参加者に渡された『奈良の夜間中学とは-奈夜中協30年の記録-』(奈良県夜間中学連絡協議会 2023.2.26)に「『夜間中学憲章』を聴く」が収録されている。
発足より26年の西和自主夜間中学の山本直子さんは外国人労働者の人権を守る運動に一貫してとりくみ、「地域に根ざした夜間中学」「学びの思想の確立」を語った。
全員が舞台に上がり、夜間中学で学んだことの意味、自分に生まれた変化を語っていった。
「人と話しをしたり、仕事を見つけたり出来るようになった」
「安心してくらせるようになった」
「わからないことを人に聞けるようになった」
「前に出て話ができるようになった」
「学校に行くのは権利だと知った」
「ニュースの話しがわかるようになった」
「ほっと出来てがんばろうと思えて、人生をとりもどせるところ」
・・・
夜間中学関係者だけでなく、行政関係者、夜間中学に訪問交流した、昼の学校の生徒会が大会参加者に「ビラ」配りをする。忘れがたい69回全夜中研大会である。
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