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夜間中学その日その日 (973)  砦通信編集委員会

   夜間中学は(行政にとって)宝物か?お荷物か?   2024.06.09

 畝傍夜間中学つくり育てる会から案内をいただいた。日本最高齢の夜間中学生・西田さん、米寿を迎える卒業生金さん、張さんのお祝いの会の催しである。金さん、張さんは卒業後、畝傍夜間中学で毎週土曜日に行なわれている「ひびき」で学習を続けられている。

「この3名の方は畝傍夜間中学の歴史を正しく知る上で欠かすことの出来ない、且つ象徴たる方たちです。通学を支えている家族・ご友人も一緒に招き、ささやかなお祝いをいたします」



 主催する「つくり育てる会」は、夜間中学のPTAの役割を有し、夜間中学の学校現場にも、教育行政にも学習者の立場に立って問題提起を行ない、その解決を求めて行動する組織である。文字どおり、夜間中学をつくって、夜間中学を育てる活動を行なっている。

 夜間中学に限らず、教育現場の教員は問題点が明らかになっても、相互批判を行ない、問題を謙虚に受けとめ、解決を図る力は弱いといわざるを得ない。反省を込めて云うのだが、回復力に期待し、それ以上は深掘りしない方法が多用されている。一方でその影響を受けるのは学習者である。

 夜間中学生は成人の方がほとんどである。あるところまでは云うが、それ以上は云わない。学校をやめてしまうことで学校側もましてや教育行政も問題の所在をそれ以上は考えず、やめていった学習者個人に原因だとして終わってしまうケースが多い。

 一人の夜間中学生の学校側に改善を求める行動が、夜間中学生徒会のとりくみにとなり、“35日間の授業ボイコット”行動を支え、解決の方途を探ったのもつくり育てる会であった(『生きる 闘う 学ぶ 関西夜間中学運動50年』解放出版社 207~216頁)。

 この日(2024.6.1)の集いは、夜間中学生や関係者の想いを直接行政担当者に語る機会として参加しやすい日時設定で行なわれた。

 会場の壁面には、畝傍夜間中学のとりくみが学校に掲示されている資料も掲示され、その意味を語る発言者もあった。畝傍中学の昼の生徒会が夜間中学を訪問し、夜間中学の授業を体験、夜間中学生と話合いを行なったことのとりくみが、その後の生徒会活動に変化を生みだし、夜間中学生にも大きな変化が起っていることがNHKのテレビニュースでも紹介されていた。

 夜間中学は(行政にとって)宝物か?お荷物か?この問題提起を主催者はされていると受けとめた。橿原自主夜間中学のとりくみを経て橿原市立畝傍夜間中学の開校、行政による学ぶ権利の「値切り」との闘い、「ひびき」の開設と運営、つくり育てる会の日常的なとりくみは途切れることはない。

 畝傍夜間中学の開設前に橿原市には夜間中学が存在していた。1952年に開校した高市郡鴨公村立鴨公(かもきみ)中学校に併設された夜間中学である。この夜間中学は橿原市立八木中学に統合されたが、1975年6月、髙野雅夫氏は自らが編集自費出版した『ルンプロ元年 자립』(修羅書房)を届けるために、八木中学を訪問している。

 夜間中学の主人公は夜間中学生。その生命線を握っているのは夜間中学の教師だという言い方をしてきた。ある夜間中学は夜間中学のとりくみが足下をすくわれないように、大地に根をはった社会的存在として開かれた夜間中学に腐心してきた。地域で行なわれている清掃活動や集いにも参加して、関わりを大切にしようと夜間中学生から提案があってとりくみが始まった。

 つくり育てる会が、企画された今回の集いは、夜間中学生が居住している教育行政責任者の参加もあった。夜間中学の校区は広い、「お荷物」ではない「宝」としての夜間中学の役割の認識を進め、大阪市教育委員会が強行した文の里・天王寺夜間中学の廃校を撤回させ、復活する世論に訴えるとりくみの方向性を示していると云える。

 

 

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