夜間中学その日その日 (994) 白井善吾
夜間中学の学び 2024.10.01
夜間中学は年齢、国籍、就学経験の有無など一人ひとり異なる人たちが一つのクラスに混在している。その人たちとどんな授業を、どんな学びを創造するか、追求するか、夜間中学教員が経験できる優れた学びでもある。それは学齢の子どもたちの学習指導要領に束縛されない学びの創造と言い換えてもよい。
夜間中学生が夜間中学にたどり着くまでの半生をかけて身に付けた生業とか経験、体験を夜間中学の学びに取り入れ組み立てる方法はどうだろう。職員室で交わされる授業での夜間中学生の反応や感想の会話がそのヒントになる。加えて職員会議、教員の構内研修ではクラス担任からの報告があり、授業だけではわからなかったことが共通確認されていく。学校を欠席する理由や、健康状態、持病なども教員間で共有する。授業プリントも配られ、どんな反応が生まれたかなど、教科は違っても、自主編成の授業づくりに参考になることが多かった。
そんな問題意識を持っているとき、夜間中学の授業について報道があった。紹介する。
「熊本市の県立ゆうあい中学校で19日、生徒が作ったマイ箸で豆などをつかむ授業がありました。県立ゆうあい中学校では、技術の授業で生徒一人一人がカンナで削り、マイ箸をつくりました。19日は、そのマイ箸を使って豆や小さなボールなどをつかみ、皿から皿に運ぶ豆つかみ大会の授業がありました。 県立ゆうあい中学校には、病気や外国籍など様々な理由で中学校を卒業できなかった人など10代から80代の生徒35人が学んでいて、外国籍の生徒に日本の文化である箸を学んでもらうことや、運んだボールの合計点数を暗算で出すことも目的だということです。 ■県立ゆうあい中学校 小原ひとみ校長 『一つの教科でいろんな学習が複合的にできるというところは、授業者の教頭も意識して行っています』 ■生徒 『毎日が学びの時間です。心の宝に毎日なっています』 生徒たちは、世代や国籍などを超えて協力しながら楽しく取り組んでいました」(熊本県民テレビ 2024/9/20)。
もう一つ紹介する。
「革職人の経験生かし、美術の授業で『先生』に
(5/8の入学の)式典であいさつした生徒会長の板谷さんは、学齢期に十分学べないまま形式的に中学を卒業した。年齢も国籍も多様な生徒たちのまとめ役的な存在として、先生からも頼りにされながら毎日登校し、学ぶ喜びをかみしめている。
4月下旬に多目的教室で行われた美術の授業。現役の革財布職人でもある板谷さんが自前の道具や材料などを持ち込み、先生役を務めた。
革財布職人の板谷時美さん(右)は、美術の授業で「先生」に。自前の道具や材料を持ち込み、同級生らに作り方などを教えた=大阪府泉佐野市の市立佐野中学校夜間学級
『皆さん、何を作りたいですか?』とたずねると、生徒たちは『カード入れを作りたいです』『私は財布』などと声を上げた。板谷さんは革に穴をあけたり、糸で縫ったりといった加工方法のお手本を見せながら丁寧に教えていく。その手技に生徒も先生も『すごい』と感心するばかり。長年誇りを持って取り組んできた仕事だけに、板谷さんは『ちょっとでも授業の役に立てれば、うれしい』と満面の笑みを浮かべた。
福岡・博多で生まれ育ち、中学3年のときに長兄がいる大阪へ。革靴の職人だった兄の仕事を手伝い、学校は『教室にたまに顔を出す程度』だった。熱心な仕事ぶりで早々に一人前の職人として認められ、30年程前には請われて中国で1年間、革財布の作り方を指導した。
そのときに少し覚えた中国語は今、夜間中学で中国籍の生徒たちと話す際に役立っているという。『皆、すごく勉強したいと思っているのがわかる』と刺激を受け、自分も頑張ろうと思うと語る」(2024.05.09産経新聞)。
長い引用になったが、ゆうあい夜間中学の報告にある 「一つの教科でいろんな学習が複合的にできる」。大阪府泉佐野市立佐野中学校の美術の授業で「先生」に。自前の道具や材料を持ち込み、同級生らに作り方などを教えた。この中に髙野氏がいつもいう、「俺たち夜間中学生にとって一番大切なのは、自分がぶつかったことを正しく受けとめ、感じたこと、考えたことを、正確に仲間に伝える力を能力を奪い返すこと」を意識して組み立てるかではないか。
大阪府立桃谷高校通信制の学びの実践を中心に編まれた下橋邦彦さんの『ハロハロ通信』(東方出版2002年)の存在を知った。タガログ語のハロハロは「ごちゃまぜ」を意味するそうだ。80歳から15歳まで、三世代が集う学校は、夜間中学生が卒業後学ぶ学校でもある。下橋さんは「小・中・高校の多くが抱えている“教育の困難”から回復していく原点を、通信制の桃谷高校のこれまでの歩みを通して示そうとした」と書かれている。多くの実践例は、夜間中学と重なるところが多い。そんな展開ができたかとうらやましくなる学びが多数紹介されている。最終章では小沢有作さんの言が紹介されている。
「『識字』とはたんに字を知ることではなくて、文字と自分のかかわり方を文字の奴隷から文字の主体へと変えていく中で、内なる自分を作り直し、自分の人間化を果たしていく営みである」
これは上で紹介した髙野雅夫氏の主張に重なる。
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