夜間中学その日その日 (621)
- 白井 善吾
- 2019年6月20日
- 読了時間: 3分
「わらじ通信」に流れる思想
大阪に入って、224日に及ぶ義務教育未修了者を見つけ出す、地べたを這う髙野雅夫さんの夜間中学開設運動は693か所で行ったことが「わらじ通信」から読み取れる。大阪教職員組合(71回)、大阪府教育委員会(31)、大阪市教育委員会(45)、街頭でビラ配り(73)、証言映画「夜間中学生」上映(61)、マスコミの取材・応接(44)、小林晃さん宅(19)、をはじめ、井口府会議員、山下市会議員、西野分校、天王寺中学、岸城中学、部落解放同盟等だ。
事前にアポイントを取ることもなく、突然訪れ、話ができなければ、机にビラをおき、秘書に伝言をして、後日必ずそこを訪れている。母校に届いた手紙が髙野さんに転送され、それを見て大阪拘置所に収監されている人を訪ね、裁判に身元引受人として出廷もしている。細い糸をつないで、太い糸に、そしてそれを編み上げていく行動が天王寺夜間中学開設運動にはある。このことを私たちは決して忘れることはない。

「わらじ通信」に書かれていて、改めて「ハッ」とした記述の紹介の続きである。
14.「信じられようが、信じられまいが、人間は生きていくことだ。あらゆる限界に挑戦していくことが、自分自身を変革していくことが、生きるということだ」(1968.11.15)
15.「ただ知識のつめこみだけなら大学卒にはかないっこないし、本当に教育を受けたということにならない。知識を身につけ、どう実践したのか?実践こそが、知ったことから学んだことへの発展(変革)であり、その発展(変革)こそが教育を受けた証明なのだ」(1968.1.17)
16.「こんな差別を許して良いのか!そんな差別のない社会にするため、今我々は何をなすべきか?それを考え、学び、実践することが、我々にとって本当の勉強であり、夜間中学の本当の教育ではではないか」(1968.11.19)
17.「ただ読み書きだけの(知識の詰めこみだけの)勉強(教育)なんか全く未意味だ!―。そんなもんじゃ大学卒に逆立ちしたってかなわない。九中二部で得た知識をもとに何を、どう(誰のために)実践したか―実践の中で本当に学んだことへ発展する。それでしか大学と対等に闘えない―」(1968.12.08)
18.「自己をさらけ出さない限り、自己主張と自己主張の対決で火ばなちらさない限り、人間同志の本当の信頼とか連帯なんか生まれるはずがない」(1968.12.17)
19.「ABCカメラルポルタージュ『浮浪児マサの復讐』三分の二しか見れなかったが、やはり興味本位に作られている。第一、大阪市内に夜間中学を作ることが、なぜ俺の復讐なのか?かんじんのところが観ている人たちには分からない。なぜしつように全国行脚を続け、夜間中廃止の体制に抗し、新たに設立する運動にすべてを賭けているのか―異常な行動としてではなく、あたり前の人間があたり前のことをしている行動としてとらえない限り、真の復讐の意味が明確にされない」(1969.01.21)
明日の夜間中学のあるべき姿を考えるとき、「わらじ通信」で述べている視点はますます有効性があると考えている。夜間中学で学んでいるひとたちは「一人ひとりが原告なのだ」。夜間中学の開設をサボっている人、「一人ひとりが被告なんだぞ」。この指摘は特に重要だ。
いよいよ
「関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い」
―50人の夜間中学生が語り、つなぐトークのバトン―
呼びかけ人 4名の元近畿夜間中学校生徒会連合会会長
とき 2019年6月30日(日曜日) 13:00~16:00
ところ 大阪人権博物館(リバティーおおさか)内リバティーホール
入場無料
夜間中学生の本音の語らいに耳を傾けていただきたい。