

夜間中学その日その日 (706)
「夜間中学」に関する国会議論(その13-⑤)1976年~1979年) 学校教育でなく、社会教育でと、だれが言い始めたのか、議事録では天城勲初中局長「行く行くはは成人講座で」(1968.04.12)、宮地茂初中局長の「学校教育でない社会教育的な観点からやっていくのがいいのかも...


夜間中学その日その日 (705)
第39回夜間中学増設運動全国交流集会 夜間中学増設運動全国交流集会は8月最後の土日、2020.08.29~30 愛知県蒲郡市、蒲郡荘で開かれた。コロナ禍の中、直前まで開催か否か、もつとすればどんな持ち方で開催出来るか、検討いただいた。学習者には参加をとどまっていただいて、ス...


夜間中学その日その日 (704)
第39回夜間中学増設運動全国交流集会を前に 1968年10月11日、大阪に入った髙野雅夫さんは、214日の闘いを実行した。髙野さん一人で始まった闘いも、多くの人たちの立ち上がりと支援者の闘いの輪が広がり、大阪府・市の包囲網を作った。...


夜間中学その日その日 (703)
「夜間中学」に関する国会議論(その13-④) 1971年~1975年 59回国会から64回国会では夜間中学の議論は出てこない。約3年間の空白がある。この期では「憲法で規定された教育を受ける権利を保障させるのだという、権利思想」を掲げ、夜間中学開設運動を展開したのが髙野...


夜間中学その日その日 (702)
「夜間中学」に関する国会議論(その13-③)1961年~1968年 初中局初等中教育企画課教育制度改革室長の田中義恭氏の論文「夜間中学の設置促進と日本語教育等の充実に向けた文部科学省の取組―文部科学省の施策担当の立場から―」(「早稲田日本語教育学」 28号 2020.06)...


夜間中学その日その日 (701)
「夜間中学その日その日」(700)をジャーナリストネットワールドのコラムに投稿した後、いくつか連絡をいただいた。その一つが「2010年代以降の『確保法』に至る一連の流れは、基本的には、これまでの『排除』を基調にした政策から『包摂』への転換と言えると思います。2010年代以降...


夜間中学その日その日 (700)
「夜間中学」に関する国会議論(その①) 戦後の夜間中学の発足をさせた考えは義務教育未修了者の恵まれない人々を救うという慈恵的な考えであった。主に校長や教員のとりくみによって1947年10月1日、大阪市立生野第2中学で始められた。しかし、戦後初めての夜間中学(夕間学級)も19...


夜間中学その日その日 (699)
形式中学校卒業者の夜間中学入学について(再論)その2 「‥『中学校を卒業していない場合は就学を許可して差し支えない』との考え方を示してきましたが,一度中学校を卒業した者が再入学を希望した場合の考え方については明確に示していなかったところです」...


夜間中学その日その日 (698)
形式中学校卒業者の夜間中学入学について(再論)その1 夜間中学卒業者の会第1回の集い(2020.01.22)で上映された幻の映画がある。神戸学院大学の水本浩典先生が、16ミリフィルムを修復、CDに落としこんでいただいた。髙野雅夫夜間中学資料の中に、このフィルムはあり、保存状...


夜間中学その日その日 (697)
創造性が求められる(夜間中学の学び) 夜間中学では教員だけでなく夜間中学生も一人何役もの役割とその実行が求められる。単に学校数が少ないだけでなく、広い守備範囲が求められる。一つ一つにマニュアルがあるわけではない。その方法を見出しながら進めることが多い。...