

夜間中学その日その日 (673)
夜間中学との出会い ある夜間中学を退職なさる先生が夜間中学について語られた映像を見る機会があった。結婚で教員をやめ、奈良県に転居、そこに開設したばかりの自主夜間中学に週2回ボランティアで参加されたことが夜間中学にかかわることになるきっかけであった。教育委員会から連絡があり、...


夜間中学その日その日 (672)
2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』が書店に並んだ。それから1年になる。この間、雑誌、新聞、学会誌に書評として掲載していただいた。また、お読みいただいた方から感想をお寄せいただいた。いくつかを紹介する。私たちも、遅くなったが、1年が経過する今、合...


夜間中学その日その日 (671)
2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』が書店に並んだ。それから1年になる。この間、雑誌、新聞、学会誌に書評として掲載していただいた。また、お読みいただいた方から感想をお寄せいただいた。いくつかを紹介する。私たちも、遅くなったが、1年が経過する今、合...


夜間中学その日その日 (670)
学ぶ楽しさ 学ぶ場がある 「せんこう」が「先生」に “50年目の全国行脚”私も高知に行く。夜間中学生のための夜間中学をつくってもらうために。大阪の夜間中学生や卒業生が高知にでかけるようになって三度目だ。50年前の髙野雅夫さんの夜間中学開設運動の想いを共有するために。...


夜間中学その日その日 (669)
2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』が書店に並んだ。それから1年になる。この間、雑誌、新聞、学会誌に書評として掲載していただいた。また、お読みいただいた方から感想をお寄せいただいた。いくつかを紹介する。私たちも、遅くなったが、1年が経過する今、合...


夜間中学その日その日 (668)
2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』が書店に並んだ。それから1年になる。この間、雑誌、新聞、学会誌に書評として掲載していただいた。また、お読みいただいた方から感想をお寄せいただいた。いくつかを紹介する。私たちも、遅くなったが、1年が経過する今、合...


夜間中学その日その日 (667)
夜間中学が今 存在する意義 ② 戦後の夜間中学は誕生から行政管理庁が夜間中学早期廃止勧告を出した1966年11月までを第1期とするなら、第2期は2016年12月の「教育機会確保法」公布まで。第3期は公布以降となる。昼間登校できない学齢者が夜間に学ぶ場として発足した1期から2...


夜間中学その日その日 (666)
夜間中学が今 存在する意義 「公立夜間中学、進まぬ設置 背景に教育現場の多忙も」(日本経済新聞 2020.02.14)とする報道があった。記事は「外国籍の子どもや不登校で義務教育を終えた人の受け皿として期待される、公立夜間中学の設置が進まない。自治体に設置を促す教育機会確保...


夜間中学その日その日 (665)
夜間中学 いま の課題 ③ 自主夜間中学が公立化し、学校教育制度に位置付けられる夜間中学になったとき、自主夜間中学の良さが消し去られていく。そのことを厳しく問う、夜間中学生の文章がある。以前にこの欄で紹介したが、再び引用する。 夜間中学生となって1年...


夜間中学その日その日 (664)
夜間中学 いま の課題 ② 天王寺夜間中学が開校した年、私も教員になった。それから半世紀になる。のちに夜間中学に勤めることになるとはその時は全く分からなかった。夜間中学との出会いは、教員になって3年目、山梨で開催された第21次日教組教育研究全国集会(1972年1月)に参...